2025年11月27日23時04分

「神の霊によって、主はこの国を造り替えられる」 日本リバイバル同盟が「祈りの祭典」

「神の霊によって、主はこの国を造り替えられる」 日本リバイバル同盟が「祈りの祭典」
祈りの祭典の最初の聖会で、富田慎悟牧師(新宿シャローム教会)のメッセージに耳を傾ける参加者ら=27日、東京福音センター(東京都中央区)で

日本リバイバル同盟(NRA)が主催する「祈りの祭典」が27日、東京・銀座の東京福音センター(TFC)ビジョナリーホールで開催された。1日で計3つの聖会が行われ、NRAの常任委員や評議員を務める計8人の牧師がメッセージを取り次いだ。

NRAは、日本のリバイバルを求める全国規模の超教派団体として、1996年に設立された。祈りの祭典は、NRAが全国各地で開催してきた取り組み。コロナ禍で一時中断を余儀なくされたものの、昨年から再開し、コロナ後では2回目の開催となった。

最初の聖会では、野田勝利牧師(ひばりが丘バイブルチャーチ)のリードの下で賛美をささげ、富田慎悟牧師(新宿シャローム教会)と増山浩史牧師(21世紀キリスト宣教会)が、それぞれ聖書からメッセージ。田島実牧師(神の家族主イエス・キリスト教会)の導きで、日本のリバイバルのために参加者全員で熱い祈りをささげた。

喜ぶことは「選択」 喜んで生きることは「一番の証し」

富田牧師は冒頭、長年1パーセントといわれてきた日本のクリスチャン人口が、最近では0・4パーセント程度とされ、8千とされてきた国内のプロテスタント教会も7千を下回るほどにまで減少していることを紹介。成長が見込めない教会の「終活」を真剣に考える牧師たちも少なくないとし、厳しい日本のキリスト教界の現状に触れた。

それでも、「その中に神様の希望を見たいと思います。人の力ではできないことを神はなさります」と強調。ギデオンの300人の勇士や、最初に聖霊を受けた初代教会の120人を例に挙げ、「必ず日本には主のリバイバルが起こります。ゼカリヤが幻の中で見たように、権力によらず、能力によらず、神の霊によって、主はこの国で生き働き、そしてこの国を造り替えられる方」と力を込めた。

「神の霊によって、主はこの国を造り替えられる」 日本リバイバル同盟が「祈りの祭典」
メッセージを伝える富田慎悟牧師

テサロニケ人への手紙第一5章16〜18節からメッセージを伝えた富田牧師は、この箇所でパウロが語る「喜ぶこと」「祈ること」「感謝すること」の3つの事柄について話した。

「喜ぶこと」については、日本語の聖書では「喜んでいなさい」と訳されているが、原語では「喜べ」という命令形だと説明。パウロはここで、状況や環境がどうであれ、自らの選択によって喜ぶことを選び取るように話しているとし、「喜ぶことは信仰の大切な歩み」だと語った。

「〜できますように」と祈るとき、そこには、できないかもしれないという不安や、できないときの言い訳が含まれていると富田牧師。そうではなく「私は今日、喜ぶことを決めました」というように、喜ぶことを自らの選択としていく姿勢を伝えた。

また、イエスの十字架には、一生かけても感謝し尽くせないほどの神の恵みがあふれていると強調。「この状況では喜ぶことはできない」と言うとき、それは「あなたの十字架は大したことがない」と言うのと同じだと指摘。問題がどれほど深刻であったとしても、静まって祈り、イエスが十字架で血潮を流され、私たちの罪を赦(ゆる)し、神の子としてくださった恵みを思い起こすべきだと話した。

さらに、喜んで生きることは「一番の証し」だと言い、どれだけうまく福音を伝えられるかよりも、一人一人の中に喜びがあり、イエスの姿が見えることが大切だと強調。「イエス様が私たちの中に見えること、これが最も偉大な福音宣教の方法」と話した。

「神の霊によって、主はこの国を造り替えられる」 日本リバイバル同盟が「祈りの祭典」
日本のリバイバルを求めて祈る参加者ら

「祈ること」については、「イエス様でさえ、祈りの生活なくしては何一つできませんでした」と言い、イエスも日常的に祈る生活を送っていたことを話した。富田牧師自身は毎日、まだ夜中といえる2時半に起床し、6時まで祈る生活を送っているという。また、「唇を主の御前にささげるとき、主は私たちの人生全体を捉えてくださいます。唇と聖霊の油注ぎには、密接な関わりがあります」と述べ、1日最低でも1時間は異言で祈るようにしていることも明かした。

「感謝すること」については、「すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(18節)と書かれている通り、全てのことに感謝することこそが「主の御心」だと強調。「『主の御心を知りたい、主の御心を教えてください、あなたの導き、あなたの心はどこにあるのですか』と私たちは祈りますが、聖書を読むと、はっきり主の御心が書かれているのです」と語った。

また、「唇から出すものが、人生において実を結ぶようになる」と言い、悪い言葉を口にしないことの大切さも語った。いくら心の中でホットコーヒーを飲みたいと願っても、アイスコーヒーを注文すれば、アイスコーヒーが出てくる。それと同じように、いくら心の中で主の御心を行いたいと願っても、いつも不満を言い、つぶやき、誰かの批判をしていれば、人生で結ぶ実は自らが語った言葉によることになると話した。

いかにすれば祈りはかなえられるか

「神の霊によって、主はこの国を造り替えられる」 日本リバイバル同盟が「祈りの祭典」
メッセージを伝える増山浩史牧師

続いてメッセージを伝えた増山牧師は、イエスが自身をぶどうの木、クリスチャン一人一人をその枝に例えたヨハネの福音書15章1〜17節から、特に「何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます」(7節)と話すイエスの言葉について語った。

この箇所は、最後の晩餐でイエスが弟子たちにさまざまなことを教えられている場面で、イエスはここで、祈り求めれば何でもかなえられるという魅力的な言葉を話している。一方、その前には「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら」(同)とある。

増山牧師はこのことについて、「私たちが日常生活の中で神にとどまり、御言葉に生きるとき、私たちの祈りは聞かれ、答えられるということを教えてくれているのです」と説明。いかにすれば祈りがかなえられるかの解は日常生活にあるとし、祈りは量も大切だが、その祈りに導かれ、いかに御言葉を携えて生きるかが重要であることを話した。