見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎(とが)が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。(イザヤ書59章1、2節)
今日、イエスの恵みを受け止めるために必要な目の付けどころ、鍵となるものを受け止めてほしいと思います。それが今日の聖書箇所にあります。この御言葉を共に考えていきたいのです。皆さんが教会に来ようと来まいと、人間は神の存在を感じています。だから、神の祝福が欲しいという気持ちは誰にでもあるのです。
けれど、神の存在がぼんやりしたものでは、神の祝福は伝わってきません。ここには「あなたがたの咎が神との仕切りとなり、罪が御顔を隠させ」と記されています。心の中の「罪」「咎」、私たちの持っている何かまずいものがあって、それが神と私たちとの関係を悪くしていると、はっきり指摘しています。
4つのポイントから学びましょう。
1. 存在しておられる神!
私たちは、神が「そこにおられるのだ」ということを素直に認めたいのです。よく「人の道」と言いますが、神は清く正しいお方だから、神から命を与えられた人間は、悪いことはしてはいけないという思いを持っています。
それはどこから来るのでしょうか。私たちを造られた神から与えられた命に、その残像が残っているのです! そのことを認めて、生きて働く神を認める者になりましょう!
神を認めるなら、困ったときだけではなく、いつも神に結びついている方が幸せです。神を知り、神に結びつく者になりましょう。
2. 神の恵みが届かない事実!
神がいるなら、なぜ恵みが届かないのかと言う人がいます。確かに、そういう事実がありますが、そのままにしていると、恵みの神ではなく、呪いやたたりの神という全く違ったものを信じ始めます。恵みが届かない状況を放っておくのは良くないことです。
3. 心の咎、罪の問題!
神は霊ですから、時間や空間の隔たりはありません。その神の恵みが届かないのは「神との仕切り」があるからで、その仕切板は、私たちの心の咎や罪だと記されています。太陽が出ていても、何かの陰にいると光は届きません。神が近くにいらしても、私たちのうちにある罪が、神からの恵みを受けられないようにしているということなのです!
4. 罪を悔い改めて祈ろう!
神の恵みを受けるためには、心の仕切り板を取り除けばいいのです。素直な心で悔い改めて、神の前に祈ることです。しかし、自分の力では悔い改められずに、あまりにも身勝手でわがままなことばかりをしている私たちのために、神の御子であるイエス様が、人となってお生まれくださいました。
それは、イエス様が私たちの罪を身代わりに背負い、神の裁きを受けて十字架で死なれることによって、私たちが神からの命や恵みを何の隔たりもなく豊かに持つことができるようにするためだったと聖書は語っています。
クリスマスに2千年もの間、イエス様のご誕生が祝われ続けるのは、私たちの救い主としてこの世に来てくださったイエス様の愛が今も働いており、人々が救われ続けているからです。救い主であるイエス様を受け入れて、心の罪を素直に悔い改めて救われましょう!
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