〔人の子は、失われている者を救うために来たのです。〕あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。(マタイの福音書18章11~14節)
深まりゆく11月の日々が充実し、健康が守られ、御霊によって導かれることを感謝したいと思います。クリスマスに向けての準備が始まり、また来年の5月に開催される愛と希望の祭典・四国まで半年となりました。共に伝道の良い機会として用い、私たちの愛する人々に救いを証しし、救われるように祈り、伝道をしてまいりましょう。
主の救いとリバイバルを共に実体験させていただきましょう。イエス様を信じて生きることには価値があり、イエス様を信じると聖霊の力により、人生が大きく変化し、恵まれる体験をするのです。
今日の聖書箇所の冒頭に「あなたがたはどう思いますか?」と記されています。イエス様はご自分の思いや考え、御心を語られただけでなく、その場にいた人々に対して問いかけ、イエス様の御心を分かち合おうとされていたのです。このことを質問形式で、4つのポイントから学んでいきたいと思います。
1. “滅びようとしていた者” とは誰なのか?
この箇所を読み、罪の力に翻弄(ほんろう)されている者、今まさに滅びようとしている者とは誰のことだと思いますか。私は、自分のことだと思いました。人間の知恵や考えで自由に生きられると、誰もが思います。しかし、主の救いと愛を受けずに生きていると、滅びや破滅に向かい、その先に幸せはないのです。
自分は正しいと思いながら、神から離れ、滅びようとしている私たちを救うために、イエス様はこの世に来られました。イエス様は聞いておられます。あなた自身も、もう一度考えていただきたいのです。
2. “迷い出た1匹” を諦めてよいのか?
もしあなたが羊飼いだとして、100匹の羊を放牧していて、そのうちの1匹が迷い出てしまったら、どうしますか。その1匹くらい仕方がないと諦めてしまうでしょうか。
イエス様は良い牧者であり、迷い出た1匹の羊をも、見捨てることは決してありません。迷い出た羊が自分自身だと思うならば、見放さず、救おうと考え、手立てを講じませんか。
3. “迷い出た1匹” を捜し出す牧者とは誰なのか?
本物の羊飼いが99匹を山に残し、迷い出た1匹を捜すのは当然のことでしょうと、イエス様はおっしゃいます。世の中には、迷い出た1匹を諦める人もいますし、優しい言葉や励ましの言葉も語らない冷たい人や、苦しんでいても手も差し伸べてくれない人もいます。
しかし、イエス様は良き羊飼いです。迷い出た1匹を当然のように捜し出しに行かれるお方なのです。
4. “小さき1人” の救いを喜ぶ神の御心を知っているか?
神様は、99人の正しい人が救われたから大丈夫、とはされません。1人が迷い出て滅びそうで、失われそうなときに、良き羊飼いは何のちゅうちょもなく捜しに出かけ、見つけると、周りの人々をも巻き込んで、心から喜んでくださるのです。
どんな小さな者であっても、その1人の救いを喜ばれる神の御心があることを覚え、喜びたいのです。イエス様の現された神の愛によって、私たちは救われたのです。神様は、あなたの家族の救いを諦めてはおられません。今も神様の愛は変わらないことを感謝し、その人々の救われることを信じましょう。
◇