
キリスト教の日本語短波ラジオ放送に60年以上にわたって携わってきた尾崎一夫(おざき・かずお)氏が9月16日、米アリゾナ州の病院で死去した。92歳だった。
両側性肺炎のため同月6日に入院し、集中治療室での治療後、15日に緩和ケアに移行し、16日午前2時30分(日本時間同日午後6時30分)に息を引き取った。翌17日は、19年前にがんで亡くなった妻・久子さんの召天日だった。
6月には来日して東京で開かれたリスナーの集いに参加し、入院直前まで番組に出演するなど活発的に活動していたが、入院後に病状が急速に悪化した。最後は病室で家族と時間を過ごし、静かに地上での生涯を終えたという。長男の道夫さんは、「父が長く苦しまずに済んだことを、神に感謝しています」と話した。
1932年、山口県下関市生まれ。63年、太平洋放送協会(PBA)から「電波宣教師」として、キリスト教放送宣教団体「HCJB」(現リーチビヨンド)の送信所があった南米エクアドルに夫婦で派遣される。翌64年、日本語短波放送「アンデスの声」を南米の日系人向けに開始し、65年からは日本向けにも放送を始めた。
当時は短波放送ブームで、受信を知らせる便りがエクアドルまで1カ月に7千通も届くことがあった。87年には日系人の心の拠り所として放送が高く評価され、外務大臣表彰を受賞。90年代には、NHK主催の日本語海外ラジオ番組のコンクールで3度受賞した。
エクアドルの送信所が飛行場建設のため閉鎖されることになり、「アンデスの声」は2000年に放送を終了。しかし、再開を求める声が多数寄せられたことで、東京のウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会に日本事務局を置き、新しくできたオーストラリアの送信所から送信する形で、06年に日本語放送が再開した。
14年に団体名がリーチビヨンドに変わった後も、長年親しまれた「HCJB日本語放送」の名称で継続し、毎週土曜日と日曜日、午前7時半~同8時(周波数17650kHz)と午後8時~同8時半(再放送、同15460kHz)に放送している。公式サイトでは放送の録音も公開している。
日本語放送の番組は尾崎氏が制作していたが、今後も継続する。土曜日は、「アンデスの声」時代の番組を再放送し、日曜日は、従来放送してきた淀橋教会の峯野龍弘元老牧師による聖書メッセージ、リスナーからの便りを紹介する「お便り交換の時間」、尾崎氏の家族が企画する新番組などを予定している。