弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。…」イエスは、…その泥を盲人の目に塗って言われた。「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。(ヨハネの福音書9章2~7節)
毎日の生活の中には、「どうして?」という問題があります。長く生きていると、ますます分からないことが増えていきます。人間は不完全で、全てを知っている人はいないのです。米国では最近、AIに悩みを相談しているうちに、自殺してしまった少年がいます。
人生の問題を解決するためには、当てにもならないAIや不完全な人間に相談するよりも、教会に来て、神の言葉に聴くことです。天地宇宙を創られた神が今も生きて働いておられて、救い主であるイエス・キリストを通して私たちに救いの道を示しておられます。
キリストに求めて祈るなら、今も生きて働きたもう神は、私たちに恵みを与えてくださいます。救い主イエスは、目には見えなくても神の霊、聖霊の働きによって、常に私たちと共にいて導いてくださっているのです。その恵みを今日、分かち合いたいと思います。
今日の聖書箇所では、本当に悩みの多い一人の人物が登場しています。弟子たちは、その男の所に来て失礼な議論をしていました。「因果応報」という考え方から、彼か親や先祖が罪深いことをした結果、目が見えないのだろうかと議論していたのです。ここからがイエス・キリストの物語で、私たちの想像を超えるすごい展開となります。
1. 私たちを生かす主キリストの答え!
聖書はイエス・キリストが、神の御子であり、救い主であると語っています。私たちが原因探しをするのは、人のせいにして、自分の非を認めたくないという思いがあるからです。しかし、そこには何の解決もありません。そんな弱さを持つ私たちに対して、イエスのお言葉は、常に私たちを生かす神の力が働くのです。この男にも、原因探しではなく、「神のわざが現れるためです」とお答えになったのです!
2. 理屈を超えて働く主キリストの御業!
人間は、口ではうまいことを言っても、説明されて終わりです。イエス様のすごさは、それだけで終わらないことです。言葉を超えて、神の恵みの御業を事実としたのです。キリストは、神の愛や救い、癒やしを形にしてくださるのです。
言われた通りに池に行って目を洗うと、男の目は見えるようになったのです。イエス様は、言葉を超える神の恵みを事実としてくださる方であることを感謝しましょう!
3. 人生の時を無駄にしない主キリストとの出会い!
私たちが神の恵みを頂き、御業を体験するには、タイミングが大切なのです! 「今」というとき、物事を先延ばしにしないことです。「昼の間に」と言われているように、光であるイエス様がおられる昼の間にということです。
この男は、その時を逃さず行動し、目が見えるようになり、人生が大きく変えられたのでした! 人生には意味のある時の流れがありますから、神によって、特別な時を与えられたときに、チャンスを逃さず、その恵みを頂きましょう!
イエス・キリストは、単に2千年前に人々の罪のために十字架で死んで終わった方ではありません。時空を超えて働き、今も私たちを生かし、癒やし、励ますいのちの恵みを与えることができるのです。
救い主と出会い、人生が大きく変えられる、そのような奇跡が与えられる恵みに感謝しましょう! 神のいのちを頂き、感謝し、力いっぱい生きていきましょう。
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