
ギリシャ語原典から翻訳した英語の新約聖書が初めて出版されてから、500年を迎えた。当時、聖書を自国語に翻訳することは禁止されており、出版は秘密裏に行われた。その重要な舞台となったベルギー北部の都市アントワープではこの夏、さまざまな記念行事が行われた。
英語聖書の歴史は、14世紀末にさかのぼる。ジョン・ウィクリフ(1324~84)とその追随者たちが、当時、唯一正統な聖書と見なされていたラテン語聖書(ウルガタ)から翻訳し、1380年ごろに最初の英語聖書を完成させた(ウィクリフ聖書)。これは、ヘブライ語やギリシャ語の原典から翻訳した聖書ではなく、また当時はまだ印刷技術がなく手書きの写本で、教会も取り締まったため、広く普及したわけではなかった。
しかし、聖書を一般民衆も理解できる自国語に翻訳するというウィクリフたちの試みは、イングランドにおける宗教改革の源流的運動となったロラード派を生み出すことになった。それから約1世紀後、その中からウィリアム・ティンダル(1494~1536)が現れ、デジデリウス・エラスムス(1466~1536)らが世界で初めて出版したギリシャ語新約聖書を基に英語への翻訳を始めた。
ティンダルが新約聖書の英語への翻訳を完成させたのは、ちょうど500年前の1525年だった。イングランドの当時の教会は翻訳を認めず、それを危険視していたため、ティンダルは現在のドイツに逃れ、同国西部の都市ケルンで翻訳を完成させた。
しかし、その印刷は秘密裏に行われていたものの、悲しいことに裏切りがあり、印刷中の聖書はケルン当局に押収されてしまう。この時、マタイによる福音書1~22章だけが押収を免れ、今日「ケルン断片」として知られている。
それでもティンダルは諦めず、ドイツ南東部の都市ヴォルムスに移って再挑戦する。ここで、ギリシャ語原典から翻訳した英語の新約聖書が世界で初めて出版された(ティンダル聖書)。この新約聖書は1525年後半にイングランドとスコットランドに流入したと記録されているが、当時と現在の暦の違いにより、現在では1526年初頭と見なされている。
その後、ティンダルはこの英語の新約聖書を一部改訂し、アントワープで増刷する。ベルギー第2の都市であるアントワープは、当時も商業都市として栄えており、印刷業者が多く、また宗教改革の支持者も多かったことから、比較的安全に英語聖書を印刷できたとされる。
ティンダルは、ヘブライ語原典を基にした旧約聖書の翻訳にも取りかかっていたが、1535年に捕らえられ、翌36年に処刑されてしまう。しかし、未完となっていた旧約聖書の翻訳は、友人のマイルズ・カバーデール(1488~1569)が、ラテン語やドイツ語からの翻訳で補って完成させ、旧約・新約がそろった聖書として1535年に出版している(カバーデール聖書)。

ティンダルは、実質的に現代の英語聖書の生みの親といえる。イングランド王ジェームズ1世の命令で1611年に完成した欽定訳聖書(KJV)は、その多くをティンダル聖書に拠っている。さらにその業績は、改訂標準訳聖書(RSV)や新改訂標準訳聖書(NRSV)、標準英語訳聖書(ESV)といった現代の英語聖書にも受け継がれている。
ティンダルに関する研究と学術探求の促進を目的に、1995年に設立されたティンダル協会は7月上旬、ティンダル聖書の出版500年、また同協会の設立30年を記念して、4日間にわたる会議をアントワープで開催した。会議はアントワープ大学やルーベン・カトリック大学、プランタン・モレトゥス博物館との共催で行われ、100人近くが参加した。
また、アントワープの大聖堂などでは合唱コンサートが開催され、ティンダル自身が当時、イングランドやアントワープなどで耳にしたであろう楽曲が披露された。
16世紀の書籍展示も行われた。目玉は、ヴォルムスで出版された1526年版のティンダル聖書。この聖書は、その後の迫害によりほとんど残されておらず、完全な形のものは現在、世界で1冊しか確認されていない。ドイツのシュトゥットガルト州立図書館が所蔵するもので、7月の間だけプランタン・モレトゥス博物館に貸し出されて展示された。
1526年版のティンダル聖書は他に、大英図書館に表紙が欠けたものが、英セントポール大聖堂に一部が、それぞれ所蔵されている。
ティンダル聖書の出版500年を記念する行事は、今年から来年にかけ、世界各地で開かれる。これらは、聖書への関心を高め、議論を深めるための良い機会となるだろう。