2025年9月26日10時57分

人に失望することからの解放 菅野直基

コラムニスト : 菅野直基

人生の中で起こるほとんどの問題は、人間関係に関わることと言っても言い過ぎではありません。人間関係で悩み、一喜一憂し、振り回されているのが私たちの人生です。

クリスチャンになったら、自動的にそのような問題を超越できるようになるかといったら、それは無理です。人間関係の問題に振り回されず、それを祝福に変えるためには、幾つかのステップがあります。

まずは、人は絶対絶望的な存在だと認め、受け入れることです。聖書は、「義人はいない。ひとりもいない」(ローマ人への手紙3章10節)と語ります。人に期待し、人を信じ、人に頼るなら、失望させられ、絶望するのは目に見えています。

人は、期待し、信じ、頼るべき存在ではありません。期待し、信じ、頼るべき存在は、神ただお一方だけなのです。

人は、ありのままで許し、受け入れ、愛すべき存在なのです。人を絶望的存在として見るならば、失望し、絶望することはありません。傷つくことはありますが、その傷は最小限にとどめられます。

教会に来てつまずき、離れていく人がいます。その原因のほとんどが、人につまずくことです。人の好き嫌いとか、人に期待し、信じ、頼った結果、「裏切られた!」と感じてつまずき、教会から離れていくのです。

教会とは、愛を学ぶ教室です。それを指導する牧師でさえ、完全ではありません。お互いに愛を学んでいる途中です。だから、愛のない姿を見せ合うことになり、それを許し、受け入れ、愛することを次なる課題として与えられているのです。

これが分からないと、教会をくるくる転会し、教会ジプシーを続けることになります。「教会に問題がある」と言って次なる教会に行った瞬間、その人自身が次なる教会の問題となるのです。

人間関係の問題が生じたら、まずは人を変えようとするのではなく、自分の考え方、受け止め方を変え、神様から愛を学ぶ課題が与えられたと受け止め、祈り、神様と共にそれを乗り越えていってください。その課題をクリアし、問題を乗り越えたときには、神様から多様で数多くの祝福が与えられます。

全ての人は、絶対絶望的な存在です。しかし聖書が教えるのは、イエス様の十字架と復活により、それを信じて受け入れる人は新生し、造り変えられ、イエス様の似姿に近づけられていくのです。

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(コリント人への手紙第二5章17節)

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(コリント人への手紙第二3章18節)

イエス様にこそ、絶対的な希望があるのです。

私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。(詩篇16篇8節)

イエス様をあなたの前に迎えてください。そして、イエス様を通して相手の人を見てください。そうすると、見え方が変わり、神なしには何もできない、ただ助けが必要な、弱く、足りない存在であり、愛すべき存在であると分かるのです。

人はこれが分からないと、人に優劣をつけて、ある人をより優れた人として持ち上げ、ある人を劣った人と見て見下すのです。そして、持ち上げた人に失望したときには、その落差が大きい分、怒り、悪く言うのです。

みんなどんぐりの背比べであり、目くそ鼻くそ、五十歩百歩なのです。失礼な話ですが、それが事実であり、現実なのです。

しかし、神の愛と、イエス様の十字架と復活による贖(あがな)いによって人は変わるのです。そこに希望を置いてください。ということは、イエス様なしには、この世に希望はないのです。

これを知っている人は失望、絶望から解放されます。人生観が変わり、人生に希望が持てるようになります。多くの精神的病も癒やされ、回復するはずです。この神の恵みを土台とし、ここを絶対的なよりどころとして歩んでまいりましょう。

一生感謝できる十分な理由が、ここにあります。

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菅野直基

菅野直基

(かんの・なおき)

1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。

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