2025年8月18日12時04分

いのちの書に名を記される幸い 万代栄嗣

コラムニスト : 万代栄嗣

また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。(ヨハネの黙示録20章11、12節)

私たちにも、必ずこの地上を離れる死の瞬間が訪れます。その前に、神の真理をもう一度学び、霊的な生き方を整えておきましょう。このヨハネの黙示録は、私たちがまだ体験していない歴史の先の世の終わりについて語っているといわれています。

特に20~21章では、世の終わりには、全ての人は例外なく、いのちの与え主である神の前に立たなければならないと教えています。あなたには、その準備ができているでしょうか。

1. 死んで終わりではなく、人生の中身を問われる私たちのいのち!

死んだら全てが終わる、と言う人もいますが、聖書は「人は一度死ぬことと、死んで神の裁きの座につくことが定められている」と明確に預言しています。誰であろうと、人間は必ず死に、死んだ後は神の前に立って、そのいのちの中身が問われるというのです。

そんな時が来ることを忘れていませんか。天国の入り口で、自分の名前がいのちの書に記されているか、問いかけられることは、避けて通れないと聖書は語っています。あなたの名はあるでしょうか。

2. いのちの書に記される善に生きるか、裁かれる悪にとどまるか

神様の前での裁きは明瞭で、清さや善で生きたのか、悪や罪にとどまったのか問われます。今は、自分が良いと思えばそれで良いと思っている人が多くいますが、神の目から見て公明正大に裁かれるとき、あなたの魂は立ちおおせるでしょうか。清いか清くないのか、その基準はあくまで、いのちを与えられた神様にあることを忘れてはなりません。

3. 誰も例外なく立つべき裁きの座!

誰一人例外なく、素のままの魂として神様の前に立ち、いのちの書に記されているか見極められるのです。例外はありません。そして、自分の強さや努力では、いのちの書に名前を記すことができません。私たちは、どこまでも罪深い人間です。神様はそれをご存じで、たとえ罪人であっても、神を見上げ、真剣に生きようとする者に特別な恵みを与えてくださいました。

4. 主キリストによる救い、助けと導きを受け止めよう!

自分の行いだけで、自分の正しさを誇ることのできる人間はいません。全ての人は罪を犯し、神の前に正しくない、滅びるだけの者です。しかし、神の御子であるイエス・キリストが私たちの罪を背負って、身代わりに死んでくださり、神の裁きを受け、私たちに救いを与えてくださいました。

だから聖書は「この世界に、イエス・キリストの御名以外に、人々を救い得る名はありません」と語ります。私たちを罪の世界から救い出し、私たちの名前をいのちの書に書き加えてくださるお方は、イエス・キリスト以外にはありません。

そして、この御名を信じた者には、神の子となる特権が与えられるのです。私たちは弱く不完全な者ですが、イエス・キリストと共に歩むならば、神の清さが与えられ、救われた者として、天国の入り口に立つことができるのです。天国と結び付いて、先に召された兄弟姉妹に、再びお会いしようではありませんか。

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万代栄嗣

万代栄嗣

(まんだい・えいじ)

松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。

また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。

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