2025年8月15日08時40分

嫌いと無関心 菅野直基

コラムニスト : 菅野直基

「人から嫌われることが怖い」と言うのを聞くことがあります。人から嫌われることは、本当に怖いことでしょうか。

「愛の反対は無関心」だといわれますが、私は人から嫌われることよりも、人の無関心さがつらいし、寂しく感じます。ねたまれたり、嫌われて意地悪をされるのは、ある意味、強烈なエネルギーを感じますが、「いてもいなくてもいい」というのは無関心であり、無視です。

神様は私たち一人一人に、強烈な関心を持ってくださっています。神様からの関心を受け止めて、その関心で自分自身への関心を抱き、同じように、他者に対して関心を持ちたいものです。

自他に対してマイナスの関心があった場合は、プラスに切り替えましょう。最近は少なくなりましたが、車のマニュアルミッションは、クラッチを切って、ギアを入れ替えて、再びクラッチをつなぎます。

ギアによって同じエンジンの力を、前進にもバックにも使えるように、マイナスの関心は、いったんクラッチを切るように、祈りによってその関心を切り離し、神に向けます。そして、ねたみや憎しみを愛や憐(あわ)れみなどに変え、再び相手に向けるのです。

無関心というのは、エンジンの力が全く伝わらない状態です。無関心とは、やっぱり愛の真逆なのでしょう。

嫌いは嫌いでいいし、嫌いを好きに変えるのは、自分ではできません。クラッチを切って、いったん動力を切り離してから違うギアに入れ替えるように、祈りでクラッチを切り、神によってシフトをチェンジし、クラッチをつないでいただくのです。

車の例を挙げると、運転する人としない人がいますので、両方の立場で話さなくてはいけません。車を運転する人は、助手席に乗っていただいた神様の指示に従って、クラッチを切り、シフトチェンジをしてクラッチをつなぐように、神様の導きに従いましょう。

車を運転しない人は、神様に運転席に座っていただき、神様に全てを明け渡し、神様がなさりたいようにしていただきましょう。

人から嫌われることを怖れる必要はありません。わざと嫌われる必要はありませんが、嫌われていると知ったら、その相手は自分に対して強烈なエネルギーを向けてくれていることを喜び、シフトチェンジして感謝し、愛をお返ししていったらどうでしょうか。

人は、嫌っていた人でも、その相手から好かれて悪い気はしませんし、好きに変わることもあり得ます。こちらから相手を好きになっていきましょう。

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菅野直基

菅野直基

(かんの・なおき)

1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。

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