1. 勇気を失うことは全てを失う
金銭を失うことは小さなことだ。名誉を失うことは大きなことだ。しかし、勇気を失うことは全てを失うことだ。(ウィンストン・チャーチル)
目の前に立ちはだかる大きな問題を見て、立ちすくんでしまったことはないだろうか。自分の失敗を人々から非難されて委縮し、表に出られなくなったことはないだろうか。私たちは、生きる過程でさまざまな試練や困難に出合うものである。「あぁ、自分はもうだめだ!」と思って諦めてしまうこともあるかもしれない。
弁護士として、いろいろな問題の解決の依頼を受けているが、問題に取り組んでいく中で、暗礁に乗り上げて行き詰まったり、紛争が激化して相手方と感情的な対立に発展したりすることがある。そんな時には、気後れがして、取り組む力が湧いてこないために、その問題の解決に立ち向かえなくなることがある。そうすると、ますます重くのしかかってくる問題に押しつぶされそうになる。当然のことだが、次第に切羽詰まってきて、どうしても取り組まざるを得ない窮地に追い込まれる。
しかし、意を決し、勇気をもって問題に立ち向かって行くと、不思議に力が湧いてくる。知恵も湧いてくる。そして、あっという間に解決してしまうことがよくある。「こんなことなら、ぐずぐずしないで、もっと早くから立ち向かっていればよかった」と後悔することが多い。
2. 立ち向かう勇気
立ち向かう勇気がなければ、問題に打ち負かされてしまう。それは全てを失うことになりかねない。しかし神を信じる者は、そんな時こそ、立ちすくんだり、恐れて委縮したり、諦めたりせずに、逆に、全能の神により頼んで勇気を奮い起こし、問題に立ち向かっていくことができる。
「強くあれ」「雄々しくあれ」「恐れるな」「おののくな」「心配するな」「勇気を出せ」と聖書の各所に書かれている。父なる神は、神の子たちにいつもこう言って励ましてくれるのである。
その時、ダビデはひじょうに悩んだ。それは民がみなおのおのそのむすこ娘のために心を痛めたため、ダビデを石で撃とうと言ったからである。しかしダビデはその神、主によって自分を力づけた。(1サムエル30:6)
ペリシテ軍の巨人兵士ゴリアテを前にして、イスラエル軍は恐れて委縮し、誰一人挑戦する者はいなかった。そんな時に、羊飼いであった少年ダビデは、主の御名によって勇気をもって立ち向かい、武具を身に着けることもなく、たった一個の小石でゴリアテを撃ち倒し、イスラエル軍に勝利をもたらした。
また、アマレク軍によって家族や財産を奪われた民がダビデを石で撃って殺そうとしたとき、彼は非常に恐れ悩んだが、神によって自分を力づけ、民を率いてアマレク軍を追って撃ち破り、奪われた全てのものを取り戻した。
勇気がなければ戦いに敗北し、自分や家族の命さえも失う危険に遭遇することがあるが、神のことばをしっかり握りしめ、勇気をもって立ち向かい、信仰によって逆転勝利(圧倒的な勝利)を体験することができるのである。
これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。(ヨハネ16:33)
私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。(ローマ8:37)
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