さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、…こう言われた。「…サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。…」しかし、アナニヤはこう答えた。「主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。…」しかし、主はこう言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。…」そこでアナニヤは出かけて行って…サウロの上に手を置いてこう言った。…(使徒の働き9章10~19節)
聖書には、サウロ(ギリシヤ人の中ではパウロと呼ばれた)がどのような人物であったかが詳細に記されています。彼はガチガチの律法の保守派でした。
その彼が当時敵対視していたのは、十字架で処刑されたイエスが救い主だと信じ、聖霊降臨によって誕生していた教会に集い始めていた人たちでした。聖霊が下ったことにより、日々救われる人々が増し加えられていた教会に対して、社会の権威をかさに着て、クリスチャンを捕らえ、迫害していた人物としてサウロは大変有名でした。
ステパノが、反逆者としてユダヤ人たちからの石打ちで処刑されたとき、それを容認した人々の中にサウロの姿もあったのです。ステパノの死をきっかけに、クリスチャンへの迫害が一気に拡大しました。
そして、サウロはエルサレムから近隣の町や村に逃げて行くクリスチャンたちを国外まで追いかけ、捕らえて投獄していました。まさにその時、天からの光に打たれて地に投げ出され、イエスの声を聞いたのです。
イエスはアナニヤに、サウロの上に手を置いて祈るように言われましたが、アナニヤは、サウロは敵であって、イエス様のご命令に従いたくない思いを伝えます。しかし、それに対するイエス様からの答えは、「彼は選びの器である」という思いもよらないものでした。
アナニヤが手を置いて祈ると、サウロの目からうろこのようなものが落ち、真実が見えるようになったのでした。この出来事を単なるサウロの回心として捉えるだけでなく、私たち自身にも当てはまることとして理解しましょう。
1. 人の評価と神の選びの大きな差!
私たちは、クリスチャンになったからといって、聖人になるわけではありません。不用意な言葉や不注意な行動によって批判され、自らもその低い評価に納得することがありますが、神の評価は大きく違います。
アナニヤは、サウロは敵であると思っていました。しかしイエス様は、ご自身の特別な使命のための選びの器であると言われました。私たちも神によって御心を行う選びの器として選び出されたのですから、その選びに信頼し、受け入れましょう。
2. 欠点だらけの者をも選び、用いられる主!
主は、サウロが教会の迫害者であることをご承知の上で、ご自身が彼を選びの器として使命を与え、福音を世界中の人々に宣べ伝えるように用いられたのです。ペテロやヨハネとは異なる、特別な使命をサウロに与えられました。
新約聖書の多くも、高い教養を持つ彼によって書かれたのです。神様が私たちを、欠点が多い者でありながらも選んでくださったのは、個性や特徴を生かして用いるためです。選んで終わりではなく、必ず使命があるのです。
3. 弱い私たちも聖霊に満たされ、元気にされよう!
ペテロたちが聖霊降臨の恵みを受けたとき、サウロはその場にいませんでした。しかし、彼に備えられた方法で御霊に満たされ、見えなくなっていた目もうろこのようなものが落ちて、神のしもべとしての働きを始めるように変えられました。
人と比較する必要はありません。神の特別な理由であなたも私も選ばれました。私たちの欠点や個性も全てご存じの神に選ばれ、救われた事実がここにあるのです。聖霊の満たしを受けて強められ、用いられていくことを願い、感謝したいと思います。
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