現在、欧州諸国には、イスラム圏出身の亡命希望者が多数流入している。その背景には、政治的弾圧、宗教の自由の欠如、そしてキリスト教への改宗に伴う深刻な迫害がある。彼らの中には、命の危険を冒して母国を離れ、自由に信仰を持つことができる土地を求めて海を渡ってきた者たちがいる。しかし、そのような人々にとって、新天地に到達することはゴールではない。滞在許可を得るまでの長く厳しい過程が待っており、信仰を理由とする庇護(ひご)申請は、往々にして複雑で、認定されにくいのが現状である。
フセイン(仮名)もその一人である。彼はイスラム法に基づいた厳格な支配体制の国に生まれ育った。両親は比較的穏健なイスラム教徒で、家庭は温かったが、社会は過激なイスラム思想に染まっていた。20代半ば、彼はフィットネスセンターで働いていたが、そこで出会った同僚がキリストを信じるクリスチャンだった。ある日、聖書について語り合う機会があり、その同僚は引っ越しの前に、母語訳の新約聖書を一冊プレゼントしてくれた。
それは彼の人生を変える贈り物となった。フセインは聖書を最初から最後まで繰り返し読み、多くの問いが心に浮かんだ。しかし、誰にもその疑問を打ち明けることはできなかった。密告や処罰の恐れがあったからである。けれども聖書を読み進める中で、彼は説明のつかない平安と神の臨在を感じ、次第にイエスの言葉こそが命であり真理であるという確信に導かれていった。
彼の信仰に対し、両親は驚きながらも理解を示したが、「絶対に他人に話してはならない」と警告した。そのため、フセインは孤独な信仰生活を余儀なくされ、次の5年間、一人で祈り、聖書を読み続けた。
やがて、政権はさらに弾圧的になり、フセインはこのまま国にいれば遅かれ早かれ発覚し、命を落とすと確信するようになった。そしてついに決断し、命懸けで欧州への亡命を図った。長い旅路と困難の末、ある国にたどり着き、そこで初めて他のクリスチャンたちと出会い、バプテスマを受けた。
しかし、フセインの戦いは終わっていない。亡命申請から2年が経過した今も、彼の難民認定は保留されたままである。現地の言語を熱心に学び、将来は工学を学びたいという夢もあるが、もし申請が却下されれば、本国へ送還される可能性がある。帰国すれば、信仰故に投獄、あるいはそれ以上の処遇が待っていることは明白である。
こうしたケースは決してまれではない。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、宗教的迫害を理由に亡命を求めるケースは年々増加しているが、証明が難しく、多くが認定されないまま強制送還されている。特にイスラム圏からのキリスト教改宗者は、周囲に証人がおらず、信仰の実証が困難なために却下されやすいのが実情である。
欧州に逃れてきた亡命希望の信者たちは、日々の不安と孤独の中で信仰を守り続けている。彼らは私たちと同じように、聖書に触れ、イエスを知り、真理のうちに生きたいと願っている人々である。彼らが守られ、亡命申請が認められるように祈ろう。フセインのような聖書を手にした全ての求道者たちが、生けるキリストに出会えるように祈っていただきたい。
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