2025年7月4日12時08分

苦しみというプレゼント 菅野直基

コラムニスト : 菅野直基

使徒パウロは「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです」(ピリピ1:29)と語りました。つまり、キリストのための苦しみをプレゼントされたというのです。

わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。(マタイ5:11)

それは「幸い」だというのです。

もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。(ローマ8:17)

さらに、「神の相続人」「キリストの共同相続人」である証拠だと聖書は語ります。ここまでいわれたら、苦難を受けることをマイナスと考える必要はありません。光栄なこととして、感謝して受け止めましょう。

苦しみの中には、キリストのために受ける光栄なものもありますが、身から出たさび故に味わう苦しみもあります。そのような苦しみは、どのように受け止めたらよいでしょうか。

神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。(2コリント1:4〜6)

苦しみに会うことで、

  1. 神の慰めを受けられる。
  2. 受けた慰めによって、苦しんでいる人を慰められる。
  3. キリストの慰めが満ちて、慰めだけではなく、救い、つまり、癒やしが与えられる。

苦しみは、単に苦しむことでは終わりません。苦しみを、甘んじて受けていきましょう。いきなり喜べる人はまずいないと思います。しかし聖書は「喜びなさい!」「喜び踊りなさい!」と教えます。

喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。(マタイ5:12)

最後に、苦しみは「呪い」や「神の罰」でないことだけは確かです。もちろん、罪故の苦しみがあります。それは、悔い改めるためであり、神との関係の修復と癒やしのためです。

わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。(黙示録3:19)

苦しみという、形を変えた最高のプレゼントは、神の知恵によるものなのです。感謝して受け止めましょう。

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菅野直基

菅野直基

(かんの・なおき)

1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。

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