主はモーセに言われた、「イスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたのうち、また、あなたがたの子孫のうち、死体に触れて身を汚した人も、遠い旅路にある人も、なお、過越の祭を主に対して行うことができるであろう。すなわち、二月の十四日の夕暮、それを行い、種入れぬパンと苦菜を添えて、それを食べなければならない。これを少しでも朝まで残しておいてはならない。またその骨は一本でも折ってはならない。過越の祭のすべての定めにしたがってこれを行わなければならない。しかし、その身は清く、旅に出てもいないのに、過越の祭を行わないときは、その人は民のうちから断たれるであろう。このような人は、定めの時に主の供え物をささげないゆえ、その罪を負わなければならない。もし他国の人が、あなたがたのうちに寄留していて、主に対して過越の祭を行おうとするならば、過越の祭の定めにより、そのおきてにしたがって、これを行わなければならない。あなたがたは他国の人にも、自国の人にも、同一の定めを用いなければならない』」。(民数記9:9~14)
今回の箇所は、過越の祭りに用いられる、種を入れないパンについて書かれています。これは何を意味するのでしょうか。
パンは通常、イーストのような膨張剤を使って膨らませますが、酵母を入れないパンは膨張せず、平らなままです。聖書は、真理に反する偽りの教えをパン種(イースト)に例え、「少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか」と警告します(参照・1コリント5:6)。たとえ少しであっても、私たちが真理に反する偽りの考えを心に受け入れるなら、それはすぐさま心の全体に浸透し、私たちの言動に大きな悪影響を与える可能性があります。
心が平安で、感情が落ち着いていたにもかかわらず、突然、ある人から不快な思いにさせられた経験が頭に浮かび、そのことを1時間思い巡らしていたとしましょう。このようなネガティブな思考は心に浸透しやすく、あとで心の平安を取り戻すことが難しくなります。否定的な考えが頭に浮かんだら意識的に、正しいこと、称賛に値することに焦点を合わせ、否定的な考えから心を遠ざけることが大切です(参照・ピリピ4:8)。
この地上の人生で勝利を体験するためには、心の集中が必要です。現代社会では、家の掃除をしながらポッドキャストを聴くなど、一つのことをしながら別のことをするマルチタスクが一般的になっています。
マルチタスクは、時間を効率的に使うのに役立つ時期もあるかもしれません。しかし、集中力が失われ、神様の喜ばれない、2つのことを同時に追い求めようとする姿勢につながりかねません。聖書は、一心不乱の大切さについて教えています(参照・マタイ6:24、ルカ10:42、ピリピ3:13)。
神様が導いてくださる一つのことに集中することで、他の無関係な事柄が頭に浮かんでも集中力を切らすことなく、心安らぐことができるようになります(参照・へブル4:3)。これは、いつも心の中で多くの否定的な感情と戦っている人々にとって、盲点かもしれません。
今日、私たちの心をキリストに向け直しましょう。もしあなたがいつも、心の中で起こっている戦いに打ちひしがれているなら、一つのことに意識を集中してみることです。そうすれば、キリストの与えてくださる御霊の実である平和(参照・ガラテヤ5:22)と安息(参照・マタイ11:28)を体験することができます。
GOD BLESS YOU!
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