2025年6月24日14時36分

ワールドミッションレポート(6月24日):ヨルダン 診療所での聖書の学び

執筆者 : 石野博

アイーシャ(登場する人物名は仮名となる)は、背中の痛みを訴えて、ある医療系宣教団体が運営する診療所を訪れた。毎日多くの困窮者が来院する中でも、彼女は特に優しさと誠実さを備えていた。

アイーシャは神を喜ばせ、聖なる正典を学びたいという意欲を抱いており、地元のモスクで毎週コーラン教室に通っていた。診療所のスタッフのサリーは、彼女を女性向けの体操教室に誘い、やがてアイーシャはそのクラスのコーチとしての育成を受けるようになった。毎週通ううちに、彼女は次第に自分の私生活や胸の内を打ち明けるようになっていった。

同じ建物に住む大家族の親戚たちとの間には、うわさ話や不信感があり、彼女は心身ともに疲れ果てていた。夫の借金による苦労や、義理の息子たちからの拒絶も悩みの種だ。彼女は平安を求めていたのである。

アイーシャの事情を知るようになったサリーは、彼女と共に聖書を読みたいと願った。アイーシャもこれに同意し、二人は一緒に聖書を読み始めた。アイーシャは旧約聖書の預言者たちの物語に夢中になり、「キリスト教徒もアブラハムやモーセみたいに、いけにえをささげてるの?」と尋ねた。

「待って、もう少し読み進めてみましょう」。サリーは、先を急ぐアイーシャを優しくたしなめた。週を重ねるごとに、アイーシャの質問はますます積極的になった。ある日サリーは「いけにえはあるわ。でも、とても高価なのよ」と語った。

「高価? ラクダかしら?」アイーシャは興味津々に尋ねた。そしてついに二人は、イザヤ書53章にたどり着いた。アイーシャは目を見開いてこう言った。「これってイエスのことなの? 彼がいけにえなの?・・・でも、それって、全ての人のためのいけにえなのかしら?」

サリーが、ゆっくりと熱意を込めて答えた。「そうよ、イエスは、彼を信じる全ての人のためのいけにえなのよ」。するとアイーシャの顔は喜びに輝いた。「私はイエスが預言者だって信じてたわ。コーランには、彼は実際には(十字架で)死んでいなかったって書いてあるのよ」

アイーシャのこの言葉に対して、それは多くのイスラム教徒が抱く誤解だと、サリーも理解していた。しかし聖書の言葉は既に、アイーシャの心をとらえていたのだ。そしてアイーシャは目を輝かせながらこう言った。「これからも一緒に聖書を読み続けたいわ!」

現地の人々の必要に寄り添いながら、今も主の僕たちは宣教に励んでいる。彼らの働きがヨルダンの地で豊かに実を結ぶよう、祈っていただきたい。

■ ヨルダンの宗教人口
イスラム 96・5%
プロテスタント 0・3%
カトリック 0・4%
正教関係 1・5%

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石野博

石野博

(いしの・ひろし)

2001年より、浜松の日系ブラジル人教会で日本人開拓、巡回伝道者として従事。12年より、奥山実牧師のもと宣教師訓練センター(MTC)に従事、23年10月より、浜松グッドニュースカフェMJH牧会者として従事。18年3月より、奥山実牧師監修のもと「世界宣教祈祷課題」の執筆者として奉仕。23年10月より「世界宣教祈祷課題」を「ワールドミッションレポート」として引き継ぎ、執筆を継続している。