
子どもを愛し、幼い魂に天国と永生の信仰を語り続けたアンデルセンの童話は、今なお世代を超えて世界中の人々に読み継がれている。彼の生活は貧困と生活苦、そして失恋の連続であったが、いかなる時も希望を失わず、珠玉の童話を紡ぎ続けた。「童話」というものを、単なる子どものための読み物という殻を打ち破って、文学作品として高めた彼の業績は高く評価されよう。
著者について
本書は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの自伝で、書かれたのは1846年(42歳)ごろといわれ、その第二版が出たのは9年後の1855年4月2日(50歳の誕生日)であった。以下、年代を追ってアンデルセンの生涯を紹介する。
1805年4月2日、デンマークのオーデンセに生まれる。父(名は同じハンス)は貧しい靴直しだったが、母ともども信仰にあつく、幼いアンデルセンの魂に神の愛を植え付けた。1811年、貧民学校に行くがなじめず、カルステンス氏の学校に移る。1819年、堅信礼を受け、その後独立するために一人でオーデンセを離れ、コペンハーゲンに行く。
王立音楽学校長シボーニに引き取られ、声楽の練習に励む。1821年、バレー「アルミーダ」に出演。貧困に苦しむ。1822年5月、声楽練習所、合唱練習所、舞踊学校それぞれから解雇され、路頭に迷う。悲劇『妖精の太陽』を書き上げた直後、物理学者エアステッドの援助を受ける。また王立劇場支配人である枢密顧問官ヨナス・コリンに見いだされ、その家に出入りするようになり、ここが第二の家庭となる。
コリンは皇帝フレデリック6世に拝謁し、アンデルセンが数年間一定の金額を年金として受け取ることができるように取り計らってくれ、またラテン語学校の給費生としての資格も取得できるようにしてくれた。1825年、ソレーの町で行われた公開処刑に激しいショックを受ける。1828年、大学生となる。『ホルム運河からアマゲル島の東南までの徒歩旅行』を自費出版する。
1830年、フェール島に旅行。1831年、ドイツに旅行。詩集『一年十二カ月』出版。コリンの息子エドゥアールと親交を結ぶ。同年9月、イタリアに旅行。手紙で母の死を知る。1834年、『即興詩人』出版。大きな反響を得、作家としての道が開かれる。
1835年、「火打ち石」「親ゆび姫」「いたずらっ子」「旅の道づれ」「人魚姫」などの童話が生まれる。同年12月、『子供のための童話集第1巻』出版。1837年、『さびしきヴァイオリンひき』出版。エドゥアールの妹ルイーゼに失恋。エアステッドの娘ソフィに失恋。
1840年、「混血児」「モールの娘」などの戯曲を書く。「空とぶトランク」「コウノトリ」「バラの花の精」「パラダイスの園」「野の白鳥」などの童話が生まれる。『子供のための童話集第2巻』出版。
1843年、「スウェーデンのうぐいす」と呼ばれたジェニー・リンドとコペンハーゲンで会い、彼女の慈善公演に協力。「ナイチンゲール」「みにくいアヒルの子」「兄弟」「仲よし」などの童話が生まれる。『子供のための童話集第3巻』出版。
1844年、実の母同然だったコリン夫人死す。デンマーク国王の招待を受ける。1845年、「マッチ売りの少女」が書かれる。1846年、世界一周の旅へ。
1863年、戦争が始まり、デンマーク軍とシュレスヴィヒ・ホルスタイン軍がぶつかる。1864年2月1日、デンマーク軍、オーストリア・プロシア(プロイセン)軍と戦い、敗れる。1867年、オーデンセの町を挙げてアンデルセンの62歳の誕生日を祝う。1869年、アンデルセンのコペンハーゲン到着50周年記念会が祝われる。1875年4月8日、永眠。
主な作品の紹介
<すずの兵隊さん>(矢崎源九郎訳『人魚の姫 アンデルセン童話集1』新潮社 / 新潮文庫)
男の子は、さっそく、兵隊さんたちを、テーブルの上にならべました。見ると、どの兵隊さんも、とてもよく似ていて、まるでそっくりです。ところが、中にひとりだけ、すこし変ったのがいました。かわいそうに、その兵隊さんは、足が一本しかありません。(中略)でも、その兵隊さんは、一本足でも、ほかの二本足の兵隊さんたちに負けないくらい、しっかりと立っていました。
(前略)みんなは、すずの兵隊さんを、テーブルの上にのせました。(中略)兵隊さんは、もといた部屋にもどってきていたのです。(中略)それから、かわいらしい小さな踊り子のいる、あの美しいお城もあります。娘さんは、あいかわらず、かた足で立っていて、もう一方の足を高くあげていました。
(前略)兵隊さんは、娘さんを見つめました。娘さんも、兵隊さんを見つめました。でも、ふたりとも、なんにも言いませんでした。とつぜん、小さな男の子のひとりが、すずの兵隊さんをつかんだかと思うと、いきなり、ストーブの中へ投げこみました。(中略)すずの兵隊さんは、ほのおにあかあかと照らされて、おそろしい熱さを感じました。けれども、その熱さは、ほんとうの火のための熱なのか、それとも、心の中に燃えている愛のための熱なのか、はっきりわかりませんでした。
(前略)兵隊さんは、小さな娘さんを見つめていました。娘さんも、兵隊さんを見つめていました。そして、兵隊さんは、自分のからだがとけていくのを感じました。(中略)そのとき、とつぜん、ドアがあいて、風がさっと吹きこんできました。踊り子は、まるで空気の精のように、ひらひらと吹きとばされて、ストーブの中のすずの兵隊さんのところへ飛んできました。と思うまもなく、あっというまに、めらめらと燃えあがって、消えてしまいました。
(前略)あくる朝、女中がストーブの灰をかきだすと、兵隊さんは、小さなハート形の、すずのかたまりになっていました。踊り子のほうは、金モールのかざりだけがのこっていました(後略)。
<人魚の姫>(同上)
人魚のお姫さまは、美しい王子をだいて、そこへおよいでいきました。そして、王子を砂の上に寝かせましたが、そのときも王子の頭を高くして、暖かいお日さまの光がよくあたるように、気をつけてあげました。そのとき、大きな白い建物の中で、鐘が鳴りました。そして、若い娘たちが大ぜい、庭から出てきました。
(前略)王子は、とうとう気がついて、まわりにいる人たちにほほえみかけました。けれども、命をたすけてくれた人魚のお姫さまのほうへは、ほほえんでも見せませんでした。(中略)まもなく、王子が大きな建物の中にはこばれていってしまうと、人魚のお姫さまは、悲しみながら水の中へしずんで、おとうさまのお城へもどっていきました。
(前略)お姫さまには、よくわかっているのです。今夜かぎりで、王子の顔も見られません。(中略)王子とおなじ空気をすうのも、深い海をながめるのも、星のきらめく夜空をあおぐのも、今夜かぎりとなりました。(中略)思えば、お姫さまには魂がありません。(中略)お日さまの光がさしてくれば、その最初の光で、お姫さまは死ぬのです。
(前略)人魚のお姫さまは、テントのむらさき色のたれまくをとりのけました。中では、美しい花嫁が、王子の胸に頭をもたせて眠っています。(中略)空を見れば、夜あけの空が赤くそまって、だんだん明るくなってきました。お姫さまは、するどいナイフをじっと見つめました。それから、また目を王子にむけました。
(前略)人魚のお姫さまの手の中で、ナイフがふるえました。――しかし、その瞬間、お姫さまは、それを遠くの波間に投げすてました。(中略)お姫さまは、なかばかすんできた目を開いて、もう一度王子を見つめました。と、船から身をおどらせて、海の中へ飛びこみました。
(前略)人魚のお姫さまは、そのものたちと同じように、自分のからだも軽くなって、あわの中からぬけ出て、だんだん上へ上へとのぼっていくのを感じました。「どなたのところへ行くのでしょうか?」と、お姫さまはたずねました。その声は、あたりにただよっている、ほかのものたちと同じように、美しく、とうとく、ふしぎにひびきました。それは、とてもこの世の音楽などでは、まねすることもできません。「空気の娘たちのところへ!」と、みんなが答えました。
(前略)人魚のお姫さまは、すきとおった両腕を、神さまのお日さまのほうへ高くさしのべました。そのとき、生れてはじめて、涙が頬をつたわるのをおぼえました。
<みにくいアヒルの子>(矢崎源九郎訳『マッチ売りの少女 アンデルセン童話集3』新潮社 / 新潮文庫)
けれども、いちばんおしまいに卵から出てきた、みにくいかっこうのアヒルの子だけは、かわいそうに、アヒルの仲間たちばかりか、ニワトリたちからも、かみつかれたり、つつかれたり、ばかにされたりしました。
(前略)さいしょの日は、こんなふうにしてすぎましたが、それからは、だんだんわるくなるばかりです。かわいそうに、アヒルの子は、みんなに追いかけられました。にいさんや、ねえさんたちさえも、やさしくしてくれるどころか、かえっていじわるをして、いつも言うのでした。「おい、みっともないやつ。おまえなんか、ネコにでもつかまっちまえばいいんだ!」
(前略)と、ちょうどその瞬間、おそろしく大きなイヌが、すぐ目の前にとび出してきました。(中略)ところが、どうしたというのでしょう。アヒルの子にはかみつきもしないで、また、ピシャッ、ピシャッと、むこうへもどっていってしまいました。「ああ、ありがたい!」と、アヒルの子は、ほっとして、言いました。「ぼくが、あんまりみっともないものだから、イヌまでかみつかないんだな」 アヒルの子は、そのまま、じっとしていました。
(前略)いよいよ、冬になりました。ひどい、ひどい寒さです。アヒルの子は、水の面がすっかりこおってしまわないように、ひっきりなしに、泳ぎまわっていなければなりませんでした。(中略)でも、とうとうしまいには、くたびれきって、動くこともできなくなり、氷の中にとじこめられてしまいました。
(前略)やがて、いつのまにか、お日さまが、暖かくかがやきはじめました。(中略)いよいよ、すてきな春になったのです。そのとき、アヒルの子は、きゅうに、つばさを羽ばたきました。すると、つばさは前よりも強く空気をうって、からだが、すうっと持ちあがり、らくらくととぶことができました。(中略)アヒルの子は水の上にとびおりて、美しいハクチョウたちのほうへ、泳いでいきました。
(前略)「さあ、ぼくを殺してください」と、かわいそうなアヒルの子は、言いながら、頭を水の上にたれて、殺されるのを待ちました。――ところが、すみきった水の面には、いったい、何が見えたでしょうか? そこには、自分の姿がうつっていました。(中略)それは、美しい一羽のハクチョウではありませんか。
<旅の仲間>(同上)
このふたりは、ほんとうによくないことをしようとしていました。死んだ、このかわいそうな人を、お棺の中に、そっと寝かしておかないで、お堂の外へほうり出してしまおうとしていたのです。(中略)「ふん、そうか。おめえが、こいつの借りをはらおうってんなら、おれたちゃ、なんにもしねえよ。約束すらあ」と、そのひどい男たちは言って、ヨハンネスの出したお金をうけとると、(中略)笑いながら、行ってしまいました。ヨハンネスは、死んだ人を、お棺の中にもう一度ちゃんと寝かせて、手をくみあわせてやりました。
(前略)けれども、お姫さまは、まだ、魔女のままでした。ですから、ヨハンネスが、ちっとも好きになれません。(中略)ヨハンネスは、旅の仲間の言うとおりにしました。(中略)と、その瞬間、ハクチョウは、世にも美しいお姫さまの姿にかわったではありませんか。お姫さまは、前よりも、ずっとずっときれいでした。そして、美しい目に、涙をいっぱいためて、「魔法をといてくださって、ありがとうございました」と、ヨハンネスにお礼を言いました。
(前略)いちばんおしまいに、旅の仲間が来ました。見れば、手に杖を持ち、背中にはいのうをしょっています。ヨハンネスは、(中略)「どこへも行かないでください。(中略)だって、ぼくが、こんなにしあわせになれたのも、みんな、あなたのおかげなんですから」と、言いました。
ところが、旅の仲間は、頭をふって、しずかに、やさしく言いました。「いやいや、わたしの時はおわったのだよ。(中略)おまえさん、いつか、死んだ男を、わるいやつらが、ひどいめに会わそうとしていたのを、おぼえているかね。あのとき、おまえさんは、持っているものをみんな、そいつらにやって、死んだ男がお墓の中で、しずかに休むことができるようにしてやったね。その死んだ男が、じつは、このわたしなんだよ」 こう言いおわると、旅の仲間の姿は消えてしまいました。
◇
栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)刊行。また、猫のファンタジーを書き始め、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。20年『ジーザス ラブズ ミー 日本を愛したJ・ヘボンの生涯』(一粒社)刊行。現在もキリスト教書、伝記、ファンタジーの分野で執筆を続けている。