2025年2月13日11時43分

ワールドミッションレポート(2月13日):トルコ かつてのイスラム過激派戦闘員、イエスを見いだす(2)

執筆者 : 石野博

ニューヨーク・タイムズの記者パトリック・キングスリー氏は偶然、イスタンブールの地下でイスラムからの改宗キリスト者らに出会った。この中の25歳の青年バシル・ムハンマドから話を聞いた。彼は、シリア内戦で戦ったヌスラ戦線の戦闘員であり、ヌスラ戦線の残虐なやり方にも同意していたのだ。(第1回から読む)

ムハンマドがヌスラ戦線に加わって1年後、彼の見方は変わった。「イスラム教徒がイスラム教徒を殺すのを見て、何かが間違っていると気付いたんだ」。彼は戦闘から離れ、故郷に戻った。婚約者のヘビンと結婚した後、トルコに亡命した他の250万人のシリア人と共にイスタンブールに逃れた。

亡命生活でムハンマドは、あまりに大声で祈るので、隣人たちから「お前はいつになったら偉大な預言者になるんだい?」と皮肉混じりに文句を言われるほど、当時はまだ熱心なイスラム教徒だった。彼は、妻のヘビンに髪と首をベールで覆い、顔を覆い隠すようにと指図するほど厳格なムスリムだったのだ。

2015年初め、ヘビンは重い病気にかかった。彼女の健康状態が悪化する中、ムハンマドは従兄弟のアフマドと電話で話した。実はこのアフマドが、10代のムハンマドを頻繁に誘って、イスラム過激主義の説教者の集会に参加させた張本人である。

ところがアフマドは、この時すでにカナダに亡命しており、驚いたことに彼は、そこでイエスの信者になっていたのだ。さらにムハンマドを驚かせたのは、そのアフマドが、ヘビンの癒やしのために、彼と共にいた小人数の信者と一緒に祈るから、電話を彼女の近くに置いてほしいと頼んできたことだった。従兄弟の改宗に失望を感じつつも、妻の容体が切羽詰まっていたので、ムハンマドは考える暇なく、アフマドの要求に首を縦に振らざるを得なかった。

信者たちが祈ると、神はすぐにご自身の癒やしの力を示された。数日のうちに、ヘビンの病状が劇的に改善したのだ。ムハンマドは、それがアフマドたちの祈りのおかげだとすぐに分かった。そこでムハンマドは、キリスト教についてもっと知りたいと思い、イスタンブールの牧師を紹介してくれるようにとアフマドに頼んだ。彼は、ヨルダンで「良き羊飼い」と呼ばれるグループの宣教師エイマド・ブリムを紹介した。こうして2人はイスタンブールで一緒に会って関係が始まったのだ。

同じ頃、ムハンマドと妻ヘビンのそれぞれがイエスに関する力強い夢を見た。ヘビンは夢の中で、超自然的な力を使って海の水を分ける聖書の人物を見たが、ムハンマドはそれをイエスからの励ましのしるしと捉えた。そしてムハンマドは、命のパンであるイエスから食べ物を与えられる夢を見たのだ。

何よりもこの夫婦は、夫も妻も、夢を通してイエスの愛を深く強く感じたのである。ブリム牧師がムハンマド夫妻に福音を説明すると、彼らの心は御言葉と御霊によってすでに和らいでいたので、何のちゅうちょもなくイエスを主として受け入れ、新しく生まれたのである。(続く)

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■ トルコの宗教人口
イスラム 96・6%
プロテスタント 0・03%
カトリック 0・06%
正教 0・03%
ユダヤ教 0・02%

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石野博

石野博

(いしの・ひろし)

2001年より、浜松の日系ブラジル人教会で日本人開拓、巡回伝道者として従事。12年より、奥山実牧師のもと宣教師訓練センター(MTC)に従事、23年10月より、浜松グッドニュースカフェMJH牧会者として従事。18年3月より、奥山実牧師監修のもと「世界宣教祈祷課題」の執筆者として奉仕。23年10月より「世界宣教祈祷課題」を「ワールドミッションレポート」として引き継ぎ、執筆を継続している。