2025年2月4日16時18分

「苦しみ」と「苦しみ」の解決(1)「苦しみ」の原因 三谷和司

コラムニスト : 三谷和司

人はなぜ「苦しみ」を覚えるのか。その原因はどこにあるのか。人は人との関係が困難になると「苦しみ」を覚えるので、「苦しみ」の原因は人間関係にあると思うが、本当にそうなのか。

また、人は困難な出来事に直面しても「苦しみ」を覚えるので、「苦しみ」の原因は困難にあると思うが、本当にそうなのか。しかし、そうでなかったのなら、「苦しみ」に対して「的外れ」の対応をすることになる。

そこで思い出すのが、米国の大統領ジョージ・ワシントンの話である。彼の時代、病気の原因は人の血にあると信じられていたので、病気になると血を抜く治療が行われた。そのため、彼が大統領を辞めて2年後に風邪をひいたときも、主治医は彼の血の半分近くを抜く治療を行い、それが原因で彼は死んでしまった。

今では考えられない治療だが、当時は当たり前のように行われていた。これと同じことが、「苦しみ」の原因を見誤ると起きてしまう。そこで、ここでは人の心が覚える「苦しみ」の真の原因を探り、正しい解決を目指す。最初は、「苦しみ」の原因を探るところからである。

なお、聖書の引用は新改訳聖書第三版を使用する。そうでない場合は、その都度聖書訳名を表記する。ただし、聖書箇所の表記は、新改訳聖書第三版の表記を基に独自の「略語」を用いる。

-「苦しみ」の原因-

人は、「苦しみ」の原因は見える困難にあり、困難が自分を苦しめていると思い込んでいる。例えば、親しい人から悪く言われたりすると、その人との関係を築くことは困難になり、「苦しみ」を覚えるので、「苦しみ」の原因は相手にあると思い、怒りを覚える。

そこで相手を責め、相手に謝罪させることで困難になった関係を改善し、自分の「苦しみ」を解決しようとする。これが、この世での定番である。しかし「苦しみ」の原因は、本当に見えるところの困難にあるのだろうか。それを探ってみたい。それには、人とは何かを知る必要がある。

人とは何か

人とは、「体」からの情報を認識し、思考する「精神」(意識)である。「精神」が認識できるのは、変わらない「物差し」に支えられているからである。物差しがなければ、何も認識できない。物差しがあるから、良いとか悪いとかいった判断ができる。

また、「精神」が思考できるのは、目的地に向かって動かす「運動」に支えられているからである。目的地に向かって動いていなければ、何も思考できない。目的地に向かって動いているからこそ、そこに至るにはどうすればよいかと思考ができる。

従って、「精神」が機能するには「物差し」と、目的地に向かう「運動」とに支えられる必要がある。そうでないと、「体」が持ち込む情報を認識し、思考することはできない。

そこで、神は最初に人の体を大地のちりで造り、そこに「精神」(意識)が機能するために必要な「物差し」と、目的地に向かう「運動」の両方を兼ね備えた「いのち」を吹き込まれた。それによって「精神」が機能するようになり、人は生きるものとなった。その様子が、聖書に次のようにつづられている。

神である【主】は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。(創世記2:7、新改訳2017)

吹き込まれた「いのち」は三位一体の神の「いのち」なので、原語を見ると複数形になっている(「ハイイーム」[חַיּׅים])。そして、その「いのち」が「魂」と呼ばれるものであり、人を支え動かしている。つまり、人である「精神」は、「魂」と「体」によって機能する。このことは、イエスの言葉からも知ることができる。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」(マタイ10:28、新共同訳)

以上のように、人は神の「いのち」に支えられ、生かされている存在であり、神と人との関係は、例えるなら、神がぶどうの木であれば、人は「枝」という関係である。「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です」(ヨハネ15:5)

「苦しみ」と「苦しみ」の解決(1)「苦しみ」の原因 三谷和司

神は、人の土台となることで(ぶどうの木)、人を神と連続した者として造られた(枝)。そのため、土台の神の「いのち」が提供する「物差し」は「神の思い」となるので、人は「神の思い」を知っている。それで、人は「神の思い」の流れを慕い求め、「神」を目指す。こうして、神の「いのち」である「魂」は、「神」を目的地として人を動かす「運動」となるので、鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、人は神を求めて生きる。

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。(詩篇42:1)

まことに「魂」が、すなわち神の「いのち」が、人に目的地を示し、そこに向かって人を動かしている。これは、神が人に呼びかけ、人をご自分のもとに引き寄せようとしておられることを意味する。

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だが、ここに疑問が生じる。人の造りは神と連続性があって「一つ」であるにもかかわらず、なぜ神は人に呼びかけ、人をご自分に引き寄せようとするのかという疑問である。

確かに「人の造り」は神との連続性があるが、神は人に独立した「人格」を与えたため、人の「人格」と神の「人格」との交わりは、「人の造り」の連続性とは別の話となるので、神は人に呼びかけられる。それは、体の連続性がある肉の親と一緒に暮らす家族であっても、心が自動的に通い合うわけではないのと同様である。

心が通い合うためには会話が必要である。それで、神は人に呼びかけ、目的地の神に向かって人を動かす運動を展開し、人はそれに答えるという形で、神との会話が行われる。その神からの呼びかけは、神の「いのち」すなわち「魂」が担当する。

「魂」は目的地の神を人に示し、神に向かって人を動かす。「神よ、わたしの魂はあなたを求める」(詩篇42:2、新共同訳)。これに人が応答することで神との距離が縮まり、友と呼ばれる関係になる。「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」(ヨハネ15:15、新共同訳)。ここに、神が人を造られた目的がある。それは、人と友として生きることである。

このように、人とは、神によって生かされ、神に向かって動かされている存在である。

すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。(ローマ11:36、新共同訳)

ここで重要なのは、人は「魂」が展開する運動に押され、「神に向かっている」ということである。これが分かれば、「苦しみ」の真の原因も明らかになる。

「苦しみ」と「苦しみ」の解決(1)「苦しみ」の原因 三谷和司

「苦しみ」の真の原因

人の認識を支え、人の思考を可能にしているのは、神の「いのち」による「魂」である。「魂」は、認識に必要な「神の思い」を発信し、思考に必要な運動を展開する。その運動は、神を目的地とし、人を誘導する。まるでカーナビのように、目的地に到着するまで誘導し続ける。人が神と友となるまで、正しい道をうしろから語り続ける。

あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。(イザヤ30:21)

この「魂」の働きは誰にも止められない。そのため、アダムの罪に伴い、「死」が入り込み、神と人との間に「隔ての壁」ができてしまっても、言い換えれば、神が見えない遠い存在になっても、「魂」は「隔ての壁」を人に乗り越えさせ、神と人との距離を縮めようとする。そのようにして、目的地の神を目指して人を動かし続ける。

それは、紛れもなく神に向かって人を後ろから押す聖霊の風である。であれば、聖霊の風に押されているにもかかわらず、心を神に向けずに「的外れ」の方向に進むとどうなるだろう。それは当然、聖霊の風に逆らうので、人は「苦しみ」を覚える。

「苦しみ」と「苦しみ」の解決(1)「苦しみ」の原因 三谷和司

ヨットは、風に押されているときは順風で楽であっても、風に向かって動こうとすれば途端に難航する。人は追い風に乗って歩けば楽だが、向かい風の中を歩けば苦しくなる。これらは自明の理であるように、「魂」からは神に向かって人を動かす聖霊の風が吹いているので、その風に逆らい、神とは別のものに向かおうとすれば、人が「苦しみ」を覚えるのは当然のことである。

このように、「苦しみ」の真の原因は、心を神に向けられないことにある。それはつまり、神との距離が縮まらないということである。しかし人は、「苦しみ」の原因は見える困難にあると思い込んでいるので、「的外れ」の対応をしてしまう。

そこで次に、「苦しみ」の原因は見える困難にはないことを知ってもらうために、どうして見える困難に人は「苦しみ」を覚えてしまうのか、そのメカニズムを見ておきたい。(続く)

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三谷和司

三谷和司

(みたに・かずし)

神木(しぼく)イエス・キリスト教会主任牧師。ノア・ミュージック・ミニストリー代表。1956年生まれ。1980年、関西学院大学神学部卒業。1983年、米国の神学校「Christ For The Nations Institute」卒業。1983年、川崎の実家にて開拓伝道開始。1984年、川崎市に「宮前チャペル」献堂。1985年、ノア・ミュージック・ミニストリー開始。1993年、静岡県に「掛川チャペル」献堂。2004年、横浜市に「青葉チャペル」献堂。著書に『賛美の回復』(1994年、キリスト新聞社)、その他、キリスト新聞、雑誌『恵みの雨』などで連載記事。

新しい時代にあった日本人のための賛美を手がけ、オリジナルの賛美CDを数多く発表している。発表された賛美はすべて著作権法に基づき、SGM(Sharing Gospel Music)に指定されているので、キリスト教教化の目的のためなら誰もが自由に使用できる。

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