2024年11月23日10時39分

何をしても快く思ってくれない人への対処法 菅野直基

コラムニスト : 菅野直基

人生を生きていると、何をしても賛同してくれる友達がいるかと思えば、何をしても反対してくる人がいるものです。原因はともかくとして、賛同者と反対者が半々くらいなのが健全ではないかと思います。人には長所と共に、短所があるからです。

長所と短所は表裏一体です。あるシチュエーションでは長所として現れることが、違うシチュエーションでは短所として現れるものです。例えば、気が利いて行動的な人は、仕事の面でとても有能で、評価されると思いますが、プライベートでは、周囲の人に気を使わせ、多くの人を疲れさせてしまうかもしれません。

ですから、人の評価は半分半分くらいが正常なのです。全員に反対される人は、その人の悪い部分が目立ち過ぎているか、よっぽどの悪人です。

何をしても快く思ってくれない人と出会うことがあります。そういう人に巡り合いたくはないですが、そういう人はいるものです。そんなときは、二人で話すようにします。お茶や食事に誘い出します。互いに誤解していたということもあります。

しかし、話せば話すほど、双方の溝が深まることもあります。2千年前、イエス・キリストとユダヤ教の指導者たちは話し合いましたが、平行線でした。話し合えば話し合うほど、溝は深まりました。

結果、ユダヤ人たちは石を手に取って、イエス様を石打ちにしようとしました。イエス様は、その場を逃れて立ち去りました。恐くて逃げたのではありません。全人類の罪を贖(あがな)うために十字架で死に、復活することが定まっていたからです。

何をしようが和解できず、決裂してしまう関係があります。もし全員に評価される人がいるとしたら、相手に合わせて妥協し、優柔不断な人かもしれません。本質的でないことに対しては、争わない方が懸命です。しかし、本質的で譲れないことに関しては、譲ってはいけないと思います。

そういうことが原因で、快く思わない人がいた場合、どうしたらいいでしょうか。祈るしかないと思います。イエス様は、次のように教えられました。

「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め」と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:43、44)

イエス様はご自分に反対する者のために、赦(ゆる)しを祈られました。

そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)

イエス様は、この祈りの対象となる人のためにも、十字架で死なれたからです。そのように祈ると、不思議です。相手の態度は変わらないのに、こちら側の心が変わって、笑顔で接することができるようになります。

こちらの態度が変わることで、相手の態度が変わることもあります。たとえ相手が変わらないとしても、こちらの心の平安と喜びが奪われないなら、それで十分です。

もう一つ残った問題は、恐れです。イエス様が教えられた祈りをするとき、私たちの心は、その人を愛することに向かっています。結果、恐れは締め出されます。

愛のうちには恐れがありません(恐怖は存在しません)。かえって十分に成長した(完成した、完全な)愛は恐れを締め出してしまいます(恐れを全く追放してくださいます)。(1ヨハネ4:18、詳訳聖書訳)

恐れがなくなったら、問題は解決したに等しいです。イエス様が教えられた祈りが、私たちの人生を劇的に変えます。何をしても好意を持ってくれる人がいれば、何をしても敵意を向けてくる人がいます。恐れず、クヨクヨせず、喜びと平安を持ってこの日も生きてまいりましょう。

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菅野直基

菅野直基

(かんの・なおき)

1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。

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