2024年10月25日21時09分

人を注意するときに大切なこと 菅野直基

コラムニスト : 菅野直基

時々、人を注意して指導しなければならなくなる立場に立たされることがあります。それが子ども相手ならいざ知らず、大の大人が相手なら、つらいものです。どんな人でも、人から注意されたり、批判されたりすることはうれしくないからです。

そのときに「私は正しい!」という上からのスタンスで注意するとしたら、どうでしょうか。相手にとってキツイ対応になります。もちろん、言うべきことは言わなければなりませんが、相手が素直に受け止められない可能性が高くなります。

「私は正しい!」というスタンスは、自分のことを棚に上げなければできないものです。誰しも失敗した経験がありますし、人から注意されて、分かっているけれど素直に「ごめんなさい」「分かりました」「教えてくださってありがとうございます」などと言えなかった経験があるはずです。それを思い起こしながら語ることが大切です。

「私も同じような失敗をするし、弱さを持っているけれど、あえて言わせていただきます」という姿勢で語るのです。それはへりくだったスタンスであり、相手と同じ目線です。

しかし、そうやって注意したとしても、相手にこちらの真意が伝わるかといえば、必ずしもそうではありません。プライドが高くて自信のない人や、ナルシストで過剰な自己愛を持った人などは逆切れし、反撃してくる可能性もあります。そういうリスクを犯してでも、嫌われることを恐れずに言わなければならないときがあります。

極め付きは、相手の幸せや祝福を願いながら注意することです。聖書は「互いの重荷を負い合いなさい」と語ります。

兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。おのおの自分の行いをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることではないでしょう。人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。(ガラテヤ6:1〜5)

自分を棚に上げないで相手を注意することは、つらいものです。通常そこまで考えたら、相手に何も言えなくなってしまいます。それでもあえて言うとしたら、相手への愛の故です。そのように互いの重荷を負い合って、より良い社会を目指していきたいですね。

私はイエス様の愛を思い出します。イエス様は罪のないお方であるだけでなく、私の罪を身代わりに背負って十字架で死なれました。そして、私たちを責めることなく赦(ゆる)し、愛し、受け入れてくださいました。

人を注意する前に、この方の愛を体験し、祈りながら言わせていただくことが、相手にとって最も益になるのではないかと思います。神の愛に感謝いたします。

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菅野直基

菅野直基

(かんの・なおき)

1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。

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