1966年に静岡県で一家4人を殺害したとして死刑が確定した後も、無実を訴え続けてきたカトリック信徒の袴田巌(はかまだ・いわお)さん(88)の再審で、静岡地裁(国井恒志裁判長)は26日、無罪を言い渡した。犯行時に袴田さんが着用していたとされる「5点の衣類」や、袴田さんが「自白」したとされる供述調書など、3つの証拠を捏造(ねつぞう)と認定した。
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最大の争点となったのは、「5点の衣類」に付いていた血痕の色。衣類は事件発生から1年2カ月後に、現場近くのみそ工場のみそタンクで発見されたが、当時の実況見分調書などには、血痕の色が「濃赤色」などと記されていた。
袴田さんの弁護側は、実証実験の結果や法医学者の鑑定などを踏まえ、衣類に付いた血痕は1年間みそ漬けにされれば、黒く変色し、赤みは消えると主張。昨年3月、東京高裁はこの主張を受け、袴田さんが犯行時に「5点の衣類」を着ていたとする確定判決の認定には合理的な疑いが生じるとし、再審開始を認めた。この際、東京高裁は「衣類は、事件の発生から相当期間が経過した後に、捜査関係者がみそタンクに入れた可能性が極めて高い」と指摘。捜査機関による捏造の可能性にも言及していた。
NHKによると、静岡地裁は無罪を言い渡した再審判決で、「1年以上みそ漬けされた場合に血痕に赤みが残るとは認められない。事件から相当期間経過した後、発見に近い時期に、犯行とは無関係に捜査機関によって血痕を付けるなど加工され、タンクの中に隠されたものだ」と判断。「5点の衣類」は、捜査機関による捏造だと認めた。
死刑が確定した事件の再審で、無罪が言い渡されるのは35年ぶり戦後5件目。
1936年に静岡県雄踏町(現浜松市)に生まれた袴田さんは59年に上京し、プロボクサーとして活躍。その後、同県清水市(現静岡市清水区)のみそ製造会社に勤務した。
66年6月30日未明、同社専務の男性宅から出火し、焼け跡から男性を含む家族4人が刃物でめった刺しにされた遺体で発見された。袴田さんは同年8月に容疑者として逮捕され、連日長時間の取り調べを受けて「自白」。公判では無罪を主張したが、静岡地裁は68年に死刑を言い渡し、80年に最高裁で確定した。
84年のクリスマスイブに、獄中で教誨師の故・志村辰弥神父から洗礼を受け、カトリック信徒となる。獄中では聖書を読んでは祈っていたという。92年には、獄中で書きつづった潔白の訴えと再審を願う祈り、家族への思いなどが支援団体によってまとめられ、『主よ、いつまでですか』として出版された。
81年から第1次再審請求を行うが、2008年に最高裁が特別抗告を棄却して終了。同年、第2次再審請求を始め、静岡地裁は14年、再審開始や死刑の執行停止を認め、袴田さんは逮捕から48年ぶりに釈放された。
しかし、検察が即時抗告し、東京高裁は18年、再審開始を取り消した。これに対し、弁護側が特別抗告。最高裁は20年、「5点の衣類」に付いた血痕の変色についてのみに争点を絞り、東京高裁への審理差し戻しを決定。東京高裁が昨年3月、再審開始を認める決定をしていた。