2024年6月27日08時40分

ワールドミッションレポート(6月27日):韓国 歴史的視点から見る朝鮮半島の福音化(4)

執筆者 : 石野博

1880年代までに儒教の秩序は崩壊し、朝鮮半島の主権は周辺の大国の力学によって脅かされつつあった。進歩的な朝鮮人たちは国の近代化を急ぐため、先進的な医学や教育を提供する外国人宣教師の入国を促した。そのような進歩的な朝鮮人の一人が、英語と中国語の2カ国語で教育するメソジスト系私立の英中学校(the Anglo-Chinese School)で信者になった貴族の尹致昊(ユン・チホ)だった。(第1回から読む)

彼は、キリスト教信仰こそは国を復興させるための新しいエネルギーであると見なしていた。1910年、尹はエジンバラで開催された世界宣教会議に「現地教会」の代表の一人として出席し、朝鮮民族はキリスト教信仰を受け入れやすいことを証言したのだ。

当時、多くの西洋宣教師は朝鮮語を習得せず、朝鮮人協力者に頼っていた。一方、宣教師の妻たちは女性のためのミニストリーを始めた。その結果、女性伝道者、または「バイブルウーマン」たちがプロテスタントの初期の広がりにおいて重要な役割を果たしたのである。事実、彼女たちの多くは、役割こそ違えど男性も女性も神の前に等しい価値があるとするキリストの教えを通じ、当時の社会にあって証しと模範になったのだ。

最も有名なバイブルウーマンの一人である金剛(キム・グァン)は後にこう言った。「イエス・キリストが朝鮮で宣べ伝えられた日が、それまで何千年も朝鮮社会で続いた女性蔑視の束縛からの解放の始まりでした」

彼女は自分の洗礼の日を「人生で最も幸せな日」として記憶していた。彼女は「それまで儒教社会では、女性が自分の名前で呼ばれたことはなく、父(〜の娘)、夫(〜の妻)、または息子(〜の母)の名前でしか呼ばれたことがなかったのです。自由が私に訪れたとき、私は「ドルカス(鹿)」という名前を自分の名前として受け取ったのです」と説明した。

ドルカスという名前にふさわしく、彼女は2千キロに及ぶ山岳地帯の伝道をした。彼女がそこを歩くとき、時には口汚く罵られ、地元の人々からは食べ物を拒まれ、一度は投獄されもした。それでもドルカスは、決して伝道することをやめなかったのだ。(続く)

<<前回へ     次回へ>>

■ 韓国の宗教人口
プロテスタント 35・3%
カトリック 9・2%
仏教 23・7%
儒教 2・7%
イスラム 0・3%

◇

石野博

石野博

(いしの・ひろし)

2001年より、浜松の日系ブラジル人教会で日本人開拓、巡回伝道者として従事。12年より、奥山実牧師のもと宣教師訓練センター(MTC)に従事、23年10月より、浜松グッドニュースカフェMJH牧会者として従事。18年3月より、奥山実牧師監修のもと「世界宣教祈祷課題」の執筆者として奉仕。23年10月より「世界宣教祈祷課題」を「ワールドミッションレポート」として引き継ぎ、執筆を継続している。