2024年5月8日11時38分

永遠に残るもののために 安食弘幸

コラムニスト : 安食弘幸

永遠に残るもののために 安食弘幸

「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは永遠に立つ」(1ペテロ1:24、25)

ある人が車で家族と一緒に、スーパーマーケットまで買い物に出かけました。ところが、多くの人出で駐車場はいっぱいです。奥の方まで行けば空いている可能性はありますが、小さな子ども連れで歩くのは大変です。さらに、外は雨が降っています。

そこで彼は、神様にお祈りをしました。「神様、どうか近くに駐車スペースを1台お与えください。もし、あなたがこの祈りを聞いてくださったのなら、私も妻と一緒にこれから教会に行きますので」。彼がそうお祈りをするや否や、目の前の車がスーッと出て行ったではありませんか!

彼は慌てて神様に言いました。「神様、今のお祈り忘れてくださって結構です。今、自力で駐車スペースを見つけましたから!」

私たちは、この男のことを笑えないかもしれません。私たちの持っているものの全ては、神から与えられたものです。命、肉体、能力、才能、健康、財産、家族、友人、仕事など。しかし私たちはしばしば、これらを自分の力や努力で勝ち取ったのだと錯覚してしまいます。神と無関係に営まれた人生には、必ず後悔する時が来ます。なぜなら、それらの営みの全ては永遠には残らないからです。

クリスチャンドクターの岩村昇博士(1927〜2005)は、長年ネパールで医療活動をされました。ネパールの「赤ひげ」先生と呼ばれ、アジアのノーベル賞と言われる「マグサイサイ賞」を受賞(1993年)します。「どうしてこの道を選んだのですか」と聞かれ、次のように答えています。

「高校生の時、広島に原爆が投下されました。その時、人間が営々と築き上げてきたもの、人類の知恵と叡智(えいち)の結晶であるところの建物や町が一瞬のピカッドンで灰になった。それを見たとき、人間の努力で築き上げるものや、いつか消えて灰になってしまうもののために自分の人生をかけることはやめよう。もっと永遠なるものにつながりたいと思いました」

今、私たちが目にしている人の手で作ったものは全て、いずれは消えてなくなっていきます。この「人生の空しさ」に気付くとき、人の心は永遠なるものを探し始めるのです。聖書の御言葉は、私たちの心にいつも永遠への思いを与えてくれます。

今から約200年ほど前、スコットランドにジョンとディビッドという兄弟がいました。2人は対照的な人生を歩みました。

兄のジョンは、お金を稼いで裕福になろうと決め、それを追求し、手にしました。一方、弟のディビッドは、兄のジョンがお金を稼ぐことに身を費やしている間、神と人々のために人生をささげました。彼はアフリカ大陸への宣教師となり、アフリカの人々に仕えました。

ブリタニカ百科事典には兄のジョンについて、「ディビッド・リビングストンの兄」と一言記されているだけです。しかし、ウエストミンスター寺院に眠る弟ディビッドの墓石には、次のように刻まれています。「30年間、たゆみない努力をもって、宣教のために生涯を費やした人物」

ディビッド・リビングストンは、59歳の誕生日の日記にこう書いています。「私のイエス、私の王に私の人生、私の全てを心新たにもう一度ささげます」

リビングストン兄弟は同じ両親から生まれ、同じ家族で育ちました。しかし、人生における態度の違いが2人の人生を全く異なるものにしたのです。一人はこの世のことだけに生き、もう一人は永遠を思って生きたからです。

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安食弘幸

安食弘幸

(あんじき・ひろゆき)

峰町キリスト教会牧師。1951年、島根県出雲市に生まれる。関西学院大学社会学部卒。大学時代は硬式野球、関西六大学リーグのスラッガーとして活躍。関西聖書学院卒。セント・チャールズ大卒(哲学博士)。JTJ宣教神学校講師、国内外の教会や一般企業、ミッションスクール、病院、福祉施設などで講演活動を行っている。著書に『キリストを宣べ伝える―コリント人への手紙第二』『心の井戸を深く掘れ』『道徳力―モーセの十戒に学ぶ―』『ルツの選択、エステルの決断』など多数。

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