2024年4月5日11時53分

創造と想像 菅野直基

コラムニスト : 菅野直基

私は、「創造」と「想像」という漢字を、意図的に使い分けています。

「想像」は、すでにあるものの組み合わせを変えることで、新しい事柄を発想すること。それに対して「創造」は、無から有を造り出すこと。その意味で「創造」は、神が行ったことに限定されると考えています。

「初めに、神が天と地を創造した」(創世記1章1節)

神は全宇宙、そして地球とその中に住む全てのものを創造されました。私たち人間の文明の発達は、神が無から造り出されたものの組み合わせを変えることによって起こってきました。

神と人間はパートナーです。「あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました」(詩篇8:5)。この聖句を見ると、人間がいかに優れた存在であるかを知ることができます。全知全能の神より少しだけ劣る存在であるというのです。

人は神ではないので、神にはなれません。しかし、神を神と認め、神を心に迎え、神と共に歩むことで、どんなことでもできるのです。

「イエスは言われた。『人にはできないことが、神にはできるのです』」(ルカの福音書18章27節)

ここに、無限の可能性と希望があります。神と共に働くことで、できないことはないのです。

私は定期的に文章を書いていますが、すでにある神の言葉の組み合わせを変えたり、現実に適応させたりしているのです。神と私の共同作業です。もし私が、一から考えて文章を書くとしたら、それは大変な作業です。いや、不可能です。

大学以上は修士も博士も、それぞれに論文を書き、それが認められて学位が授与されます。論文は、さまざまな引用文献・参考文献の出典を示します。それが必要だし、それを示すことで論文の価値が上がります。どんなにすごい発見であっても、それは「創造」ではないのです。

聖書には、「主が家を建てるのでなければ、建てる者の勤労は空しい」(詩篇127篇1節)と書かれています。この聖句は、神と私たちとの関係を端的に教えてくれています。

神は、天地万物をデザインし、無から有を創造されました。それを、家を建てることに例えました。「主が家を建てる」とありますが、人も「建てる」という勤労を行うのです。神と人間はパートナーであり、共同作業を行うべきだということを教えています。

人は「神のかたち」に創造されました。

「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」(創世記1章27節)

神の聖さ、義、愛の性質を持ち、自由意志を持った人格であり、神の交わりの対象という意味です。神の崇高な性質を与えられましたが、同時に人間は、土のちりで造られました。

「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きた者となった」(創世2章7節)

土のちりで造られたので、人は弱いのです。それ故、神が必要なのです。弱い「土の器」である人間に、神の「命の息」が吹き入れられたのです。聖書は「そこで人は生きた者となった」と語ります。

新約聖書には、「この宝を土の器の中に持っている」(2コリント4章7節)と書かれています。これが、神を信じた人の状態です。

讃美歌461番に「主われを愛す」という歌があります。

「主われを愛す 主は強ければ われ弱くとも 恐れはあらじ」

神と共に生きるなら、何も恐れる必要がないのです。私は弱く足りない存在ですが、共におられる神が強く、全知全能だからです。

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菅野直基

菅野直基

(かんの・なおき)

1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。

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