2024年2月4日20時26分

神様の恵みを妨げるプライド 加治太郎

コラムニスト : 加治太郎

イエスは会堂を出てシモンの家におはいりになった。ところがシモンのしゅうとめが高い熱を病んでいたので、人々は彼女のためにイエスにお願いした。そこで、イエスはそのまくらもとに立って、熱が引くように命じられると、熱は引き、女はすぐに起き上がって、彼らをもてなした。(参照・ルカ4:38、39)

今日のデボーションはルカ4章38、39節です。

キリストが引き続き、人々を癒やされます。なぜ、私たちには癒やしが必要なのでしょうか。私たちが心も体も癒やされたとき、神様が私たちに与えられた満ちあふれるほどに豊かな人生を歩み通すことができるからです(参照・ヨハネ10:10、フィレモン1:6)。

私たちが癒やされることを邪魔するのは、自分のプライドです。特に気を付けなくてはいけないのは、誠実に信仰生活を送っているから大丈夫だと自負しているときです。このような姿勢は、私たちが神様の御声に聞き従い、恵みを体験することを妨害します。

メッセージを聞いたとき、「そのようなことは何度も聞いているから大丈夫なので、関心がないです」という態度をとると、そのメッセージに潜んでいる恵みを見逃してしまいます(参照・ヤコブ4:6、7)。神様が私たちに示されようとしている解決策は難しいものではなく、極めてシンプルなのです。

人からひどいことをされて、その人に対する否定的な感情が抜け切れないと、私たちの信仰生活にも悪影響を与えます。祈りが聞かれなくなり、奇跡を体験できなくなります(参照・マルコ11:23~25)。

人を赦(ゆる)すとは、具体的にはどのようなことでしょうか。ギリシャ語では「charizomai」といい、「好意を示す」という意味が含まれています。この「charizomai」は、「charis」という「恵み」を表す言葉からきています。ひどいことをされたら、ただ単に流して忘れるのではなく、その人に対して好意を示すことが求められるのです。

私たちはその人の最善を信じ(参照・1コリント13:4~8)、感謝の意を示しているでしょうか(参照・1テサロニケ5:18)。私はこの御言葉により、心の根底から癒やされ、自由と解放を体験しました(参照・ヨハネ8:32)。

私たちはこの世のさまざまなプレッシャーの中で生活をしていますが、自らを必要以上に追い込んでいないでしょうか。仮に、私たちがそのプレッシャーに押しつぶされたとしたら、どうなるでしょう。キリストの復活の恵みを体験できるのです(参照・ローマ6:4)。押しつぶされることを恐れ、必要以上に自分の周りにガードを立てていないでしょうか。

その理由が人から受けた傷である場合もあるでしょう。その根底に人々から評価されず、批判された体験があり、それが原因で人々に対して否定的な感情を持つようになり、自分を必要以上に追い込み、ガードを立てている可能性があります。人々に好意を示すことが、癒やしへとつながるのです。

今日、私たちが見過ごしていた心の癒やしを求めましょう。気になるけれども、これまであえて取り組まなかったことはないでしょうか。私たちの心が癒やされるとき、私たちの健康を含め、全てが栄えるのです(参照・3ヨハネ1:2)。

GOD BLESS YOU!

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加治太郎

加治太郎

(かじ・たろう)

2000年に在ニュージーランド、オークランド韓人教会で受洗。05年より音楽賛美ミニストリーをスタートし、日本各地、韓国、中国、米国などを巡回。CDリリースや、毎週、沖縄と鹿児島でラジオ番組も行い、福音を伝える働きを進める。07年にはクリスチャン社会人を励ますことをビジョンにSPREADミニストリーをスタートし、東京、千葉、埼玉、名古屋などで定期的に15年まで集会を行う。19年には世界の東と西をつなぐことをコンセプトに、広告代理店 Taro Kaji Office, LLC を設立。16年からは家庭礼拝を中心に、20年には東京ベイバイブルフェローシップをスタート。キリストを通して、人々が満ちあふれるほどに豊かな人生を歩むことに情熱を注ぐ。妻と一男一女の4人家族。