2023年12月1日11時13分

万人受けすることよりも、人を愛することを求めよう 菅野直基

コラムニスト : 菅野直基

同じように対応しても、ある人は喜んでくれて、ある人は気分を悪くすることがあります。これは、誰も万人受けする人間にはなれないことを示しています。その生き方がはっきりしていればいるほど、敵・味方、好き嫌いなどの明暗がはっきりします。

例えば、普通に目立たないで生きているときには、人畜無害ですので、敵・味方、好き嫌いなどをはっきり表す人はあまりいないかもしれません。ところが、その人が選挙に出馬して国会議員になったとしたら、敵・味方、好き嫌いがはっきりします。さらに、その人が総理大臣になったとしたら、さらにそれがはっきりしてきます。影響力があれば、それだけ敵・味方、好き嫌いなどの明暗がはっきりするのです。

私も、牧師になり、教会やキリスト教界でリーダーの立場に立ったときから、敵・味方、好き嫌いをはっきり表してくる人に会う機会が出てきました。

私の経験の中で感じることは、10人中10人から「あの人は素晴らしい!」と言われる人がいれば、そこには必ず問題が潜んでいると思います。素晴らしい点が目立ち、クローズアップされているだけで、ある日、問題に光が当てられたときには、その評価が逆転することがあります。

反対に、10人中10人から「この人はとんでもない人だ!」と言われる人がいるとしたら、この人も問題です。良いところがないわけではありませんが、その人の良さが全然生かされていないのです。そんな自分自身を自分でも駄目だと思っていて、そのダメさ加減を証明するかのように生きるので、悪循環です。

健全なのは、10人中5人くらいが「あの人は素晴らしい!」と評価し、残りの5人から「あの人は・・・」と言われる人です。あるいは、10人中2人から「素晴らしい!」、2人から「問題がある!」と言われ、あとの6人からは「普通じゃない!?」などの評価を受ける人です。

つまり、万人受けする生き方はできないのです。不可能です。イエス様でさえ、人々の評価を二分し、十字架につけられてしまったのです。しかし、弟子たちをはじめ、今も多くのクリスチャンがイエス様のために命を懸けて生きています。

私たちは、万人受けし、みんなから好かれ、評価されることを願います。しかし、「人からどう見られるか」を気にするよりも、「神からどう見られているか」を気にし、「人々をいかに愛するか」を目指していきたいものです。そこに幸せがあり、豊かさがあり、正直さがあり、誠実さがあり、人間味があります。

「評価されるか、されないか」は神に委ねて、人ではなく神に評価され、喜んでいただける人生を祈り求めて生きていきましょう。私は、人の顔色を気にし、恐れることがなくなり、代わりに、神の御顔を気にし、そのまなざしを感じるときに最高の幸せを感じます。そんな人生を教え、導いてくださる神様に感謝しています。

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菅野直基

菅野直基

(かんの・なおき)

1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。

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