2023年11月25日09時28分

本当にキリストで十分か 加治太郎

コラムニスト : 加治太郎

わたしはモアブの上にさばきを行う。そのとき、彼らはわたしが主であることを知る。(エゼキエル25:11)

神様は引き続き、エゼキエルを通してイスラエルの民に語り続けられました。神様が裁きを行われるときに「わたしが主であることを知る」と言われました。

人類の罪のために神様の裁きを受けられたのは、イエス・キリストでした。キリストがこの裁きを受けられたが故に、私たちは信仰を通して、神様の義の賜物を受け取ることができるのです(参照・2コリント5:21)。

私たちが神様の義であるとは、どういう意味でしょうか。それは、キリストが私たちの中に住まわれているということです(参照・ガラテヤ2:20)。キリストが私たちの中に住まわれているということ以上に、必要なことがあるでしょうか。私たちの中にキリストが住まわれているということで、十分なのです。信仰によって、キリストが私たちを通して表されるのです。これ以上に必要なことはあるでしょうか。

キリストが私たちを通して表されるのは、私たちが御言葉を真実と信じ、受け入れ、行動に移したときです(参照・ヤコブ2:14)。そのためには、日々の生活を御言葉に親しみ、神様と交わりながら歩み通すことが大切なのです。

キリストは豊かで、病気もせず、神様のご計画を完全に歩み通されました(参照・2コリント8:9)。世界中の人々が願う歩みではないでしょうか。私たちに必要なのは、キリストだけなのです。キリストが私たちを通して表されるのです。

経済的に厳しい状況に直面したとき、キリストで十分だと信じることができるでしょうか。病状がひどいときに、キリストで十分だと信じることができるでしょうか。厳しい人間関係に直面したとき、キリストで十分だと信じることができるでしょうか。

キリストで十分なのです。経済的な必要、健康、祝福された人間関係は、御言葉を信じ、受け入れ、生活に適用していく中で表されていくのです。私たちがこの地上で天国を体験するための必要はすでに、全て与えられているのです(参照・2ペテロ1:3、マタイ6:10)。

今日も、何よりもまず、御言葉を通して神様と交わり続けましょう。そして、私たちを通してキリストがますます表されますように。キリストで十分であることを体験し続けましょう。

GOD BLESS YOU!

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加治太郎

加治太郎

(かじ・たろう)

2000年に在ニュージーランド、オークランド韓人教会で受洗。05年より音楽賛美ミニストリーをスタートし、日本各地、韓国、中国、米国などを巡回。CDリリースや、毎週、沖縄と鹿児島でラジオ番組も行い、福音を伝える働きを進める。07年にはクリスチャン社会人を励ますことをビジョンにSPREADミニストリーをスタートし、東京、千葉、埼玉、名古屋などで定期的に15年まで集会を行う。19年には世界の東と西をつなぐことをコンセプトに、広告代理店 Taro Kaji Office, LLC を設立。16年からは家庭礼拝を中心に、20年には東京ベイバイブルフェローシップをスタート。キリストを通して、人々が満ちあふれるほどに豊かな人生を歩むことに情熱を注ぐ。妻と一男一女の4人家族。