2023年9月8日13時49分

なぜ過去の傷や恥を手放せないのか 加治太郎

コラムニスト : 加治太郎

見よ、あなたのうちのイスラエルの君たちは、おのおのその力にしたがって、血を流そうとしている。(エゼキエル22:6)

今回の聖書箇所でも、神様がエゼキエルに、イスラエルの罪について語られます。

アダムとエバが神様の指示に背いた結果、お互いが裸であることを知り、恥じらいという感情を覚えるようになりました(参照・創世記3:7)。自分自身を恥ずかしく感じるという考え方は、あらゆる罪を引き起こす原因です。

私たちの中に、できれば人に隠したいと考えている事柄があるかもしれません。それを隠さずに、誰かと共有する機会はありますか。聖書は、お互いに罪を告白し、祈り合うように教えています(参照・ヤコブ5:16)。

私たちは信仰により、神様の義なのです。まさにこのために、キリストが十字架上で死なれました(参照・2コリント5:21)。つまり私たちは、恥じらいからも自由になっているのです。これが真実です。しかしなぜ私たちは、過去の恥ずかしい出来事や、人にされたひどいことについて、今も執着しているのでしょうか。

何よりも、私たち一人一人に与えられた神様の使命に焦点を合わせて歩み続けることが大切です。そのとき私たちは、過去の嫌な出来事や恥ずかしいことを振り払い、前進し続けることができます。ラグビー選手が、相手のタックルを振り払ってトライへと前進し続ける姿が思い浮かびます。愛は、人からされたひどいことを記録しません。それを振り払って前進し続けましょう(参照・1コリント13:5)。

私も長い間、過去の嫌な出来事を引きずりながら信仰生活を歩んでいました。また、相手と自分を比較して、自分の姿が恥ずかしくなることもありました。人前で恥をかいたことも多くあります。これらを引きずることは、私が信仰生活を豊かに歩むことの妨げとなっていました。ですから今も、これらの感情に足を引っ張られないよう、考え方を意識的に選択して歩んでいます。

今日も、一つのことに焦点を合わせ(参照・ピリピ3:13)、今を大切にして(参照・マタイ6:34)、あらゆる恥じらい、憎しみの感情を手放して前進し続けましょう。それらのことをなるべく考えないようにして、忘れてから自由になるのではないのです。また、恥ずかしがらないように頑張るのでもありません。御言葉が、私たちを自由にするのです(参照・ヨハネ8:31)。

私たちがすべきことは、目標を目指して一心に走り続けること、ただそれだけなのです(参照・ピリピ3:14)。この自由の恵みを体験しましょう。

GOD BLESS YOU!

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加治太郎

加治太郎

(かじ・たろう)

2000年に在ニュージーランド、オークランド韓人教会で受洗。05年より音楽賛美ミニストリーをスタートし、日本各地、韓国、中国、米国などを巡回。CDリリースや、毎週、沖縄と鹿児島でラジオ番組も行い、福音を伝える働きを進める。07年にはクリスチャン社会人を励ますことをビジョンにSPREADミニストリーをスタートし、東京、千葉、埼玉、名古屋などで定期的に15年まで集会を行う。19年には世界の東と西をつなぐことをコンセプトに、広告代理店 Taro Kaji Office, LLC を設立。16年からは家庭礼拝を中心に、20年には東京ベイバイブルフェローシップをスタート。キリストを通して、人々が満ちあふれるほどに豊かな人生を歩むことに情熱を注ぐ。妻と一男一女の4人家族。