2023年6月7日06時57分

人の弱さの中に働く神の力 安食弘幸

コラムニスト : 安食弘幸

人の弱さの中に働く神の力 安食弘幸

「私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです」(2コリント4:7)

女性千人に聞きました。「遊びに行くとき、一緒に行きたい男性として誰を選びますか?」

圧倒的な第1位は「福沢諭吉先生」(1万円札の肖像)。皆さんも福沢諭吉先生をたくさん連れて遊びに行きたいでしょう。選ぶなら、絶対に福沢諭吉先生でしょう。もし福沢諭吉先生に断られたら、せめて野口英世博士でもいい。

ある時、イエス・キリストは多くの弟子たちの中から特別の12人を選ばれます。「12使徒」の選抜です。

イエスは夜を徹して祈り、夜明けになると多くの弟子たちの中から12人を選び、「使徒」(遣わされる者)と名付けられました。キリストから遣わされた大使のような役割と責任を与えられたのです。

では、イエスはどのような基準で12人を選ばれたのでしょうか。選ばれた12人は当時の社会の上流階級の人たちではありませんでした。逆に、ガリラヤ湖の無名の漁師たち。皆から嫌われる職業の取税人。ローマの支配に対して武力をもって対抗しようとするテロリストなど、普通は大きな仕事を達成するためには決して選ばれないような人たちでした。彼らは欠点や弱さを持つ人々で、実際に選ばれた後にも多くの失態を演じています。

そしてイエスが逮捕されたとき、彼らはイエスを裏切って逃げたのです。最後の晩餐の席で、イエスは使徒たちに前もって言われました。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます」(マタイ26:31)

その時、ペテロは言います。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても私は決してつまずきません」。しかしそのすぐ後ペテロは、イエスの予告通りに三度も「イエスなんか知らない、関係ない」と言って否定し、裏切ったのです。

他の使徒たちも多くの弱さを持った人間でした。完璧な人間など一人もいませんでした。しかし彼らの評価できる点は、ユダ以外は自分の弱さを正直に告白し、自分の罪を素直に悔い改めることのできる心の柔らかい人たちでした。

弱いことや欠点があることは、マイナス要素ではありません。なぜなら、聖書が教える真理の一つは「神は私たちの弱さに引きつけられる方である」というものだからです。

パウロは自分の体験を通してこの原則を学びました。

「しかし、主は『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」(2コリント12:9)

神の支えなしの表面的な強さは、実はもろいものです。

カナダのロッキー山脈に、バンフという保養地があります(日本の軽井沢のような所)。そこには、数十メートルもある非常に大きなもみの木がたくさんあります。しかし、これがちょっとした強風でも簡単に根こそぎ倒れてしまうのです。

というのは、その土地は肥沃である上に、水分も十分に供給されているので、根をさほど深く下ろさなくても、すぐに大きな木に成長できるのです。そのために根が浅く、暴風が吹くとすぐに倒れてしまうのです。

しかし、一見弱々しく貧弱に見えても、根を地中深く下ろしている木は、激しい風にも耐えることができるのです。イエスの「使徒たち」も失敗の多い、欠けだらけの人間でしたが、イエスの訓練と聖霊の助けによって力強い働きをすることができたのです。

「自分の弱さや欠点を正直に認め、素直に神の助けを求めることができる」。これが、彼らが選ばれた理由であり、条件でした。

イエスは大勢の弟子の中から12人の「使徒」を選ばれましたが、なぜたった12人だったのでしょうか。たくさんの弟子がいたのですから、倍の24人でも、いやもっと多く120人でもよかったのではないでしょうか。

多ければ多いほど、目的が達成できる気がします。しかし、イエスには12人で十分だったのです。なぜなら自分は復活し、自分を信じる者と共に世の終わりまでいることを知っておられたからです。

イエスがピリポ・カイザリアの地に弟子たちと共に行かれたとき、弟子たちに聞かれました。「あなたがたは、わたしを誰だと言いますか」。するとペテロが答えました。「あなたは、生ける神の御子キリストです」

するとイエスは言われました。「あなたはペテロです。わたしはこの岩(ペトラ)の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません」

イエスが「わたしの教会を建てます」と言われた「この岩(ペトラ)」とはペテロ個人のことではなく、「あなたは生ける神の御子キリストです」と信仰の告白をする人々の上に教会を建てると言われたのです。

つまり、イエスはこれから後12人の使徒を通して信仰告白をする人々と共に働くと言われたのです。12人はその土台となる人々でした。イエスは12人の「使徒」の向こう側に、私たち一人一人を見ておられたのです。

私たちもまた、神によって選ばれた者たちなのです。「教会」(エクレシア)とは「〜から呼び出された者」という意味です。イエス・キリストは今日も、ご自分が選んだ人々と共に世の終わりまで共に働いておられるのです。

中国の黄河の上流に広がる黄土高原で宣教している「マルコさん」と呼ばれる伝道者がいます。彼はこの地のイエスの働きについて、次のように報告しています。

「不思議な導きで15年ほど前に開かれた黄土宣教の道です。毎年毎年、神の言葉を携えて山に入ります。そこで神の働きの現実をいつも見てきました。けんかばかりしていたすさんだ村が、福音が届いた後、温かい愛の村に変わっていくのです。山奥に御言葉が入ると、そこに愛が生まれるのです。その愛が育って、広がっていくのをずっと目撃してきました。手に負えない鼻つまみ者が、次に行った時は別人かと思うような愛の人になるし、酒と賭博しか知らなかった男が毎晩集会に通う熱心な信者に変わっているのです。確かに黄土の村人たちは、そんなに多くのことを知っているわけではありませんが、でも人が変えられ、村そのものが変えられるのを毎回見せられるのが私の最大の喜びです」

イエスが選んだ「使徒たち」を土台とした働きは、今日も広がり続けているのです。私たちもその一端を担わせていただいているのです。

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安食弘幸

安食弘幸

(あんじき・ひろゆき)

峰町キリスト教会牧師。1951年、島根県出雲市に生まれる。関西学院大学社会学部卒。大学時代は硬式野球、関西六大学リーグのスラッガーとして活躍。関西聖書学院卒。セント・チャールズ大卒(哲学博士)。JTJ宣教神学校講師、国内外の教会や一般企業、ミッションスクール、病院、福祉施設などで講演活動を行っている。著書に『キリストを宣べ伝える―コリント人への手紙第二』『心の井戸を深く掘れ』『道徳力―モーセの十戒に学ぶ―』『ルツの選択、エステルの決断』など多数。

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