2023年1月6日10時27分

どんでん返しを楽しもう! 菅野直基

コラムニスト : 菅野直基

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

早速本題に入ります。「どんでん返し」という言葉を聞いたことがあると思います。ストーリー展開において、大方の読者や視聴者の予想を大きく裏切るような結末が用意されていることをいいます。

人生を長く生きていると、度々どんでん返しを経験するのではないでしょうか。そんなとき、どう受け止めたらいいでしょうか。

聖書は「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」(ヤコブ1:2)と語ります。「試練」は、信仰、決意、実力などが厳しく試されます。試練が想定内だとしたら、厳しく試されることにはなりません。試練は想定外だからこそ厳しいのであり、どんでん返しの出来事です。

3・11の東日本大震災が起こった後に、原発事故が起こりました。関係者は口をそろえるように「想定外でした」と釈明しました。「原発の安全神話」を信じていた人にとってはどんでん返しでしたが、原発事故が「想定外だった」では済まされませんし、最悪を想定していなければなりませんでした。

しかし、私たちの人生の中には、予測できない想定外のどんでん返しが起こることがあります。「神を信じ、信心をし、善行をしていたら、悪いことは起きることはないはず」という考えは、根拠のない楽観主義です。聖書はどんでん返しを教えます。

しかも、単なるどんでん返しではなく、どんでん返しが連続で起こることを語ります。まさに、イエス・キリストの「十字架」と「復活」は、連続のどんでん返しです。

イエス・キリストは、キリスト教でいう神の御子であり、神ご自身です。罪を犯したことがないのに、なぜ十字架で処刑され、墓に葬られ、よみに下り、3日目に復活されたのでしょうか。

キリストは全てご存じでした。しかし、聖書を読む私たちにはどんでん返しです。

神は立法者です。最初、たった一つの法律を作られました。「エデンの園の中央にある善悪の知識の木の実を食べてはいけない。食べたら死ぬ」というものでした。アダムとエバは、たった一つの法律を破りました。たった一つの律法を破ったということは、全てを破ったに等しいことです。

結果、アダムとエバは死刑にならざるを得ませんでした。しかし、神はアダムとエバを愛していました。何とか死刑を回避させたいと思いました。

ここで、神が恩赦を出したり、罪を水に流したら、神の正義は曲げられ、立法者としての面目が立たなくなります。神の出された結論は、法律を変えるのではなく、神自らがアダムとエバの身代わりに死刑となって、アダムとエバを赦(ゆる)すことでした。

神ご自身であるイエス様が、アダムとエバの身代わりに死刑になったのが、イエス・キリストの十字架です。アダムとエバの罪の赦しの中に、その子孫である私たち全人類の罪の赦しも含まれています。

しかし、罪の赦しが自動的に私たちに与えられることはありません。信じることが必要です。つまり「ありがとうございました」と受け取ることです。神は、マインド・コントロールして、求めてもいない人を無理に救うことはないからです。

キリストは十字架で死なれ、墓に葬られ、よみに下りました。しかし、そこで終わったとしたら、人類は取り残されて寂しいです。キリストは、死を打ち破って復活されました。そして今も生きておられ、私たちと共におられます。

キリストの十字架の死を冷静に考えてみてください。まさにどんでん返しです。また、キリストが死を打ち破って復活されたことも同等のどんでん返しです。

まず最初に直面するどんでん返しは、あなたが神の前で罪人であるという事実です。先祖であるアダムとエバの罪を受け継いでいるからです。さらにどんでん返しは続きます。キリストの十字架と復活が私の罪を赦すためであったというメッセージです。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16)

どんでん返しは、誰の人生の中にも起こります。試練は、誰にとってもどんでん返しです。しかし神を信じる人には、どんでん返しをひっくり返すどんでん返しが起こります。「マイナスがプラス」に変わり「ピンチがチャンス」に変わるどんでん返しです。

聖書が教えるどんでん返しは、単独で終わりません。いつも連続でやってきます。

一つ目のどんでん返しは試練です。しかし今、試練の中で苦しみもがいている人がいるでしょうか。安心してください。間もなく、次のどんでん返しが起こります。試練はあなたを苦しめるためのものではなく、あなたを試すためのテストです。テストに合格したら、もう一つのどんでん返しが起こります。

試練というテストの模範的解答は何でしょうか。それは「神に感謝し、神を信頼して歩む」ことです。試練に合格したら、大逆転のどんでん返しが起こります。1度目のどんでん返しの「マイナス」が大きければ大きいほど、2度目の「プラス」のどんでん返しは大きく、一発大逆転が起こります。私たちの頭では計算できないからどんでん返しなのです。

2023年の新年は、神によるどんでん返しを信じて、前もって感謝し、期待して歩んでいきましょう。素敵な年でありますように。

どんでん返しは想定内か? 想定外か?

多くの方から、どんでん返しに会い、驚き、それを受け入れられない苦痛について聞かせていただきました。私たちは、クリスチャンであればどんでん返しのような試練に会わないと、どこかでたかをくくっているのかもしれません。しかし聖書は、そんなことを約束していません。

「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16:33)

「患難がある」と語られているのです。その事実を受け入れているならば、試練はどんでん返しではなく、想定内なのです。しかし、そうであったとしても「それがまさか、自分自身の身に及ぶとは」と、やっぱりどんでん返しなのです。

そんなとき、祈りましょう。神は、どんでん返しを受け入れて立ち向かうための忍耐力と、前進する力を与えてくださいます。

「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(1コリント10:13)

そして問題が解決し、万事益となるという、さらなるどんでん返しを期待し、信じてください。

クリスチャンにとってのどんでん返しは、知的には想定内。しかし、体験的には想定外でしょう。

  1. 想定外だからどんでん返しなのですが、それを、あり得る想定内と考えること。
  2. それが起こらないように「試みに会わせることなく、悪より救い出したまえ」と祈ること。
  3. しかし、それが起こってしまった場合には、それを受け止める力を神から頂いて、さらなるどんでん返しを期待して生きていきましょう。

2023年は、何が起こるのか分かりません。しかし、恐れることなく、前進していきましょう。

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菅野直基

菅野直基

(かんの・なおき)

1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。

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