2022年10月29日19時33分

なぜクリスチャンの間で分裂や争いが起こるのか 加治太郎

コラムニスト : 加治太郎

こうしてヨアブは角笛を吹いたので、民はみな立ちとどまって、もはやイスラエルのあとを追わず、また重ねて戦わなかった。(2サムエル2:28)

サウルが率いる軍隊と、ダビデが率いる軍隊が戦いを続け、イスラエルの同胞内で争いが起きていました。この戦いは、今のキリスト教会で起こるさまざまな分裂や争いの場面にも適用できます。

非常に残念ながら、私自身も20年以上教会の信徒として信仰生活を歩みながら、直接関わったものを含め、クリスチャンの間で起こるさまざまな戦いを見てきました。今回取り上げる戦いは、悪に対する戦いではなく、クリスチャン同士の戦いのことです。神様が喜ばれない悪魔の実そのものです。私たちクリスチャンは一致のために最善を尽くして歩む必要があります(参照・エペソ4:13)。

なぜこのようなことが起きるのでしょうか。原因の一つとして考えられるのが、私たちの独善的な姿勢です。自分が知識などで人に勝っているという勘違いです。聖書は、人が知識のみに焦点を合わせていると高慢になると教えます。大切なのは、周囲の人々を励ますことにいつも焦点を合わせることです(参照・1コリント8:1)。

教理の違いで自分が相手よりも勝っていると考えるのは聖書的ではありません。多くの神学を学んでも、それを信仰生活に適用できていないならば、逆に独善的な態度に陥る危険性があります。また、実際に適用できていても、自分が他のクリスチャンよりも優れていると勘違いして高慢な態度を取る人もいます。

前述の通り、私自身もこの高慢の罠(わな)にはまっていました。毎朝のデボーション、信仰生活での適用、実を結び、祝福を体験し、周囲の人々にその恵みを分かち合うまでは素晴らしい体験でしたが、この恵みを分かち合うときの姿勢が独善的で高慢なときもあったと認めざるを得ません。そのせいで、開かれるべき扉が開かれなかったこともあったかもしれません。

何よりも、周囲の人々を励ますことに焦点を合わせましょう。私たちがさまざまな試練を通して得た御言葉の知恵は、自分だけが実を結んで偉そうにするためではなく、周囲の人々を励ますために用いるものなのです。私たちが人々を励ますという動機の種をまくときに、その人々が励まされ、共にますます豊かな収穫を刈り取ることができるのです。何という素晴らしい恵みでしょうか。

私たちは、教会内で起こるさまざまな問題に勝利することができます。まずは、私たちが御言葉を教えたり、証ししたりするときの動機を再点検しましょう。お互いに励まし合い、一致することに焦点を合わせましょう。私たちにはそれができるのです。なぜなら、私たちはキリストに愛されており、その真実を知り、受け入れているからです(参照・1ヨハネ4:19)。

GOD BLESS YOU!!!

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加治太郎

加治太郎

(かじ・たろう)

2000年に在ニュージーランド、オークランド韓人教会で受洗。05年より音楽賛美ミニストリーをスタートし、日本各地、韓国、中国、米国などを巡回。CDリリースや、毎週、沖縄と鹿児島でラジオ番組も行い、福音を伝える働きを進める。07年にはクリスチャン社会人を励ますことをビジョンにSPREADミニストリーをスタートし、東京、千葉、埼玉、名古屋などで定期的に15年まで集会を行う。19年には世界の東と西をつなぐことをコンセプトに、広告代理店 Taro Kaji Office, LLC を設立。16年からは家庭礼拝を中心に、20年には東京ベイバイブルフェローシップをスタート。キリストを通して、人々が満ちあふれるほどに豊かな人生を歩むことに情熱を注ぐ。妻と一男一女の4人家族。