2022年8月13日09時38分

日本人に寄り添う福音宣教の扉(153)神様などいないと誰が教えたのか 広田信也

コラムニスト : 広田信也

この世界を創造された神様の存在は、今の私にとっては否定しようのない現実ですが、今から40年ほど前、つまり20代の後半まで、私は、創造主(神様)が存在するとは、全く考えていませんでした。

聖書や教会にはつてがなく、周りにクリスチャンはいませんでしたので、創造主の存在を伝えてくれる人がいなかったのは確かです。

しかし、幼いころから自然界(被造物)の不思議な様に数多く触れていたにもかかわらず、なぜ、創造主の存在に心を向けることがなかったのか。今になって考えるようになりました。

社会が進化する仕組み

私が幼少期を過ごした昭和30~40年代は、戦後の混乱期を脱した日本社会が、著しい経済発展を遂げる高度成長時代でした。近代的なインフラが次々と整備され、新しい家電が生活を潤すようになるのを、当たり前のように見ていました。

私の祖父と父は、いずれも企業で働くエンジニアでしたので、彼らの言動を通しても、人の知恵が優れた時代を作り上げていく社会の仕組みを、無条件に受け入れていきました。やがて、私自身もエンジニアを目指すようになりました。

私の心の中を支配していたこのような社会進化の仕組みは、確かに将来に希望を与えていましたが、その根底には、人間を進化の頂点とする生物進化論があったように思います。

生き物の美しさに魅了された幼少期

幼いころから小さな昆虫や魚介類が大好きだった私は、毎日のように近所の草原、水路、磯などに出かけては、小さな生き物に触れていました。比較的都会でしたが、今では考えられないほどたくさんの生き物と楽しい時間を過ごしました。

これらの生き物はすべて、それぞれの種類ごとに、特別の形態、習性を持ち、驚くほど生命力に満ちた美しい姿をしていました。幼少期の私の心は、その美しさに魅了され、とりこになっていたように思います。

世界に存在するすべての生き物は「種類に従って創造された」、また「神はそれを見て良しとされた」と聖書に記されていますが、その当時、誰かが創造主(神様)の存在を教えてくれたなら、私は幼くして聖書信仰を持っていたように思います。

生物進化論が心に植えつけられる

かつて、大阪の靭(うつぼ)公園に自然科学博物館がありました。私は、幼少期にそこで初めて生物進化論に出会ったように記憶しています。

何度も通ったように思いますが、そこに展示される多種多様な生物の標本は、過去に存在した生物を含め、私が身近に触れていた生物と同じように、驚くほど完璧で美しい特徴を備えていました。

ところがその博物館には、それらの生物が存在する根拠として、進化の系統図が掲げられていたように記憶しています。それは簡単な絵で、魚⇒両生類⇒爬虫(はちゅう)類⇒哺乳類⇒人類という一直線の流れでとても分かりやすく、進化するごとにレベルが上がるすごろくのようなものでした。

このような簡素な進化論は、数多くの反例によって既に棄却され、今では滅多に見ることはありません。しかし当時、何の証拠もなく掲げられていた進化の系統図を通し、優れたものだけが進化し、社会に貢献できるという単純なメッセージが、幼少期の私の心に植え付けられたように思います。

同時に、多種多様な生き物の完璧で美しい姿は、進化に乗り遅れた劣った存在として心の隅に置き去られ、創造主に心を向ける機会を失ってしまいました。

やがて私は、生物進化論を基に、進化の頂点に立つ人間として、さらに優れた知恵を身に付け、社会の進化に貢献したいと考えるようになったと思います。

生物進化論の大うそ

神様が創造されたものはすべて良いものであり、美しい完全な姿をしています。進化の過程にあるものや、進化に乗り遅れた生き物は存在しません。

そのことに気付いたのは、20代の後半になって、ある方の書物から、進化の過程とされる中間生物が存在しないことを知ってからでした。首の短いキリンもいなければ、鼻の短い象もいませんでした。

何よりも、幼少期に親しんだ多種多様な生き物たちの美しい完全な姿が、中間生物のいないことを示してくれました。それらは、確かに種類に従って完全な特徴が備えられていました。

サルが人に進化していくような絵を何度も見せられてきましたが、証拠として掲げられてきたものは、人のようなサルの骨か、サルのような人の骨でした。同じ証拠をもって、人がサルに進化(退化)したとも言えそうなものばかりです。すべては大うその作り話でした。

このような生物進化論がいまだに人々の心に残っているのは、人間が進化の頂点にあり、その中でも優れた人間こそが社会を進化させると考える人たちが、生物進化論を必要としているからなのでしょう。混迷を深める現代社会の指導者たちにとって、神様(創造主)は邪魔な存在なのかもしれません。

神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。(ローマ人への手紙1章20節)

神様(創造主)の目的に沿った歩みをしたい

すべての生物は、神様(創造主)によって特別に造られ、完成された特徴と使命を持っています。そして人間は、神の似姿として造られたと聖書に記されるように、慈愛に満ちた神様の御旨を具現化するために造られました。

私たちは、生物進化の頂点を極めるのではなく、神様(創造主)の目的に沿った歩みをしたいものです。それでこそ、社会は優れた真の進化を遂げることになるのでしょう。

神は、人を創造したとき、神の似姿として人を造り、男と女に彼らを創造された。(創世記5章1、2節)

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広田信也

広田信也

(ひろた・しんや)

1956年兵庫県生まれ。80年名古屋大学工学部応用物理学科卒業、トヨタ自動車(株)入社。新エンジン先行技術開発に従事。2011年定年退職し、関西聖書学院入学、14年同卒業。16年国内宣教師として按手。1985年新生から現在まで教会学校教師を務める。88~98年、無認可保育所園長。2014年、日本社会に寄り添う働きを創出するため、ブレス・ユア・ホーム(株)設立。21年、一般社団法人善き隣人バンク設立。富士クリスチャンセンター鷹岡チャペル教会員、六甲アイランド福音ルーテル教会こどもチャペル教師、須磨自由キリスト教会協力牧師。関連聖書学校:関西聖書学院、ハーベスト聖書塾、JTJ宣教神学校、神戸ルーテル神学校