2021年11月9日17時37分

新・景教のたどった道(62)景教を日本に紹介した人々(6)江上波夫 川口一彦

コラムニスト : 川口一彦

日本に景教を紹介した人物に考古学者で東京大学名誉教授の江上波夫(1906〜2002)がいます。江上は1935年、39年、41年の3度、中国の内蒙古オロン・スムに出掛け、遺跡の共同調査をしています。

『オロン・スム遺跡調査日記』(山川出版社、2005年)は、まえがきの子息の紹介文によると、江上が1939年6月5日から28日まで共同調査したときの日誌を公刊したものです。オロン・スムは元の時代(1271〜1368)のオングト族の土城でしたが、明代終わりごろに建てられたものであるといいます。

本書は4部からなり、遺跡調査に対する熱烈な情熱が伝わります。発見された東方教会の信徒の墓石などの遺跡から、拓本も含め貴重な資料が紹介されています。

 新・景教のたどった道(62)景教を日本に紹介した人々(6)江上波夫 川口一彦

一つの墓石には十字とシリア語が彫られ、拓本したものからは「喜びをもって正しき審判を待つキビラの墓」と、佐伯好郎が『景教の研究』で和訳しています。

続いて江上著『モンゴル帝国とキリスト教』(サンパウロ発行、2000年)では、第1章が元代オングト部族の王府址、オロン・スムの調査を、第2章が元代蒙古のオングト部族におけるネストリウス派キリスト教の系統とその墓石を、第3章はイタリア人モンテ・コルビィノによるローマ・キリスト教会の東方宣教とその動機を紹介しています。

内蒙古のオロン・スムにおける古代キリスト教徒の遺構などを現地で調査計測して発表したもので、多くの写真や画像が挿入され、地図も数点あり、一般人にも分かりやすく編集されていて読みやすいと思います。

筆者は2004年と06年の2回、イーグレープ企画・主催の「中国景教ツアー 北京・西安・内蒙古」を開催したとき、多くの遺跡に接する機会を得ました。その時は、オロン・スムには遺跡、遺構がなく、百霊廟文物館ほか個人や団体がそれらを所蔵していると聞きました。私たちは文物館で何基かの墓石などを見ることができ、感慨な思いをしました。

 新・景教のたどった道(62)景教を日本に紹介した人々(6)江上波夫 川口一彦

本書から、オングト部族の多くは景教徒であり、その生活圏はオロン・スムから南の百霊廟やシラムレン、さらに陰山山脈付近に至るまでで、彼らはモンゴル民族ではなくトルコ系民族であったといいます。話し言葉や文字はトルコ語やシリア語を話し書いたらしい。オロン・スム土城内で発見された景教徒墓石は10個で、中には十字墓石にシリア文字が彫られています。

続いて『オロンスム モンゴル帝国とキリスト教遺跡』(横浜ユーラシア文化館編集発行、2003年)は、オロン・スムを江上と共同調査した隊員らが資料を測定した報告や写真、図録、資料など貴重なものを紹介しています。

 

 新・景教のたどった道(62)景教を日本に紹介した人々(6)江上波夫 川口一彦

シリア語付き十字墓石の写真は2004年3月に見学したときの著者撮影画像

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※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
旧版『景教のたどった道―東周りのキリスト教』

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川口一彦

川口一彦

(かわぐち・かずひこ)

1951年、三重県松阪市生まれ。愛知福音キリスト教会宣教牧師、基督教教育学博士。聖書宣教、仏教とキリスト教の違い、景教に関するセミナーなどを開催。日本景教研究会(2009年設立)代表、国際景教研究会・日本代表を務める。季刊誌「景教」を発行、国際景教学術大会を毎年開催している。2014年11月3日には、大秦景教流行中国碑を教会前に建設。最近は、聖句書展や拓本展も開催している。

著書に 『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年)、『仏教からクリスチャンへ―新装改訂版―』『一から始める筆ペン練習帳』(共にイーグレープ発行)、『漢字と聖書と福音』『景教のたどった道』(韓国語版)ほかがある。

【川口一彦・連絡先】
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フェイスブック「川口一彦」で聖句絵を投稿中。また、フェイスブック「景教の研究・川口」でも情報を発信している。

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