2021年9月10日11時45分

「信仰と行いのセット」と「LGBTの論理のすり替え」 菅野直基

コラムニスト : 菅野直基

「信じるだけで救われる」と聞くと、間違って理解する人がいます。間違った言葉なのでしょうか? いや、正しい言葉です。しかし「信じるだけで救われる」と聞いて、必ず誰かから出てくる反応として「信じる以外に、何もしなくていい!」というものがあります。しかし、信じることと、信じた通りの行いは必ずセットなのです。人は、心から信じていることを行うものだからです。

ところで、LGBTに対する聖書の言葉が間違って論じられることがあります。聖書が「LGBTは罪である」と断じることに対して「性的少数者を拒否している」と捉えるのです。決してそうではありません。LGBTも、キセル乗車も、万引きも、不倫も、うそをつくことも、同じように罪です。そして、仮に非の打ち所がないように真面目で立派な人がいたとしても、神の目から見たら罪人なのです。つまり「LGBTが特別な罪である」と語っているかのように、論理をすり替えているのです。

LGBTは赦(ゆる)されない罪ではありません。すべてのクリスチャンが、何らかの罪や悪習慣と戦い、葛藤し、神と共に向き合いながらもがいているように、LGBTもその一つです。しかし、LGBTは生まれつきだから多様性として受け入れられ、尊重されるべきだとしたら、人が生まれつき持っている罪の性質はどうなのでしょう?「私は、生まれつき多くの女性を愛したいのです」と言って、不倫を繰り返し、愛人をあちらこちらに持っている男性が「多様性として受け入れられ、尊重されるべきだ」と言ったとしたら、その主張が受け入れられるのでしょうか?

「神は人を男と女に創造された」のです。これが神の創造の秩序です。万引きやキセル乗車をしたら、法律に基づいて裁かれるように、LGBTは神の法に基づいて裁かれるのです。たとえ、性的少数者の方が家族の中にいる、あるいは、それが自分自身だという場合であっても、対応を変えてはいけません。それが誰であろうと、神の前に膝をかがめ、憐(あわ)れみを祈るのみです。

「傷ついた葦を折ることなく 暗くなってゆく灯心を消すことなく 裁きを導き出して、確かなものとする」(イザヤ42:3)

「恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである」(ヨハネ1:17)

イエス様の恵みは罪を赦し「わたしはあなたを裁かない」と言われ、イエス様のまことは「もう罪を犯してはならない」と語られます。「信仰と行い」がセットであるように「イエス様が実現された恵みとまこと」もセットなのです。

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菅野直基

菅野直基

(かんの・なおき)

1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。

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