2021年8月6日10時57分

神の御心と神の時 菅野直基

コラムニスト : 菅野直基

キリストは、公生涯において「わたしの時はまだ来ていません」と度々語られました。この「わたしの時」の「時」は、ギリシャ語の「カイロス」です。「カイロス」は、「その時、歴史は動いた」というような「ティッピングポイント」を意味する言葉で、もう一つ、時計が刻む時間を意味する「クロノス」と対比して使われます。

キリストが言われた「わたしの時」は、「ご自分を公にあらわして、十字架につけられて死ぬとき」です。キリストは、全人類の罪の贖(あがな)いの業を成し遂げるために、死ぬために生まれてきました。なすべきことは定まっていました。しかし、赤ちゃんのイエスが十字架につくのではなく、30歳までのイエスが十字架につくのではなく、定まった時に十字架につかなくてはいけませんでした。

「あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている」(ダニエル9:24)。前後を見ると、62週とあります。最初の7週と62週を足して、69週にキリストがご自分を公にあらわします。それが、キリストのエルサレム入城です。イエス様はキリストとして「ホサナ!」と群衆に迎えられながらエルサレムに上り、その5日後に十字架につけられて殺されました。この時は、旧約聖書によって預言されて定まっていたのです。

ですからカナの婚礼の時に、イエス様は母に「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません」(ヨハネ2:4)と語りました。まだ十字架で死ぬ時は来ていなかったからです。

また、兄弟たちに同じようなことを言われました。「あなたがたは祭りに上って行きなさい。わたしはこの祭りには行きません。わたしの時がまだ満ちていないからです」(ヨハネ7:8)。このことから、神の御心とともに、それを実行する時があることを知ることができます。

私たちも、神の御心を知るとともに、それが実行される「カイロス」(神の時)を知り、その時をわきまえて行動することが必要です。進学、就職、引越し、結婚、献身など、何か新しい決断をすることが間違いない神の御心だとしても、行動に移る時を慎重に待つことを、イエスの生き方を通して学びたいものです。

イエスが十字架で死なれることは神の御心として定められていましたが、神の御心の時が来るまでは、行動に移すことはありませんでした。このことがクリスチャンの歩みを祝福し、成功させてくれます。新型コロナによる自粛・中止延期なども、神の時を見定めることが必要かもしれません。

神の御心を知るとともに、神の時をわきまえて生きていきたいものてすね。

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菅野直基

菅野直基

(かんの・なおき)

1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。

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