2021年3月5日11時43分

いのちより大切なもの 菅野直基

コラムニスト : 菅野直基

ある小型飛行機が飛行中に、エンジントラブルに見舞われた。

パイロットは「この飛行機は間もなく墜落します。私は事故の報告をする義務がありますので・・・」と言い終わると、4つしかないパラシュートの1つを背負っていち早く飛び降りてしまった。

残ったパラシュートは3つ。残された乗客は4人。

1人の男が「私は医者だ。たくさんの人の命を救わなくてはいけない・・・」と言ってパラシュートを背負って飛び降りていった。

残ったパラシュートは2つ、残された乗客は3人。

次の男は「私は弁護士だ。数々の難しい裁判を勝ち抜いてきた。私を必要としている人がいる」と言ってパラシュートを背負って飛び降りていった。

残ったパラシュートは1つだけ、しかし残った乗客は牧師と少年の2人だった。

牧師は言った。「私は長いこと神に仕えてきた。思い残すことはない。しかし、君には未来がある。パラシュートを持っていきなさい」

少年は言った。「牧師さん、大丈夫ですよ。パラシュートはまだ2個残っていますよ」

「ええっ、なぜ?」と驚く牧師。

「だって、さっきの弁護士さん、僕のリュックを背負って飛び降りていきましたから」

この牧師は、結果的にいのちが助かりましたが、パラシュートを少年に譲るという決断はなかなかできるものではありません。

しかし、それができるとしたらその理由は何でしょうか?

聖書には「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです」(第一ヨハネ3:16)と書かれています。

キリストが軍隊の長だとしたら、後ろに立って「行け!」と言うのではなく、前に立って「続け!」と言われるでしょう。

キリストがまず、私たちを救うためにいのちを捨ててくださいました。その愛が分かった人は、神が愛する兄弟を救うためにいのちを捨てることも可能になってきます。

そしてたとい今死んでも、行き先は天国であることを知っています。だから、他者のいのちを救うために自分のいのちを犠牲にすることも可能になります。

20億人以上いるクリスチャンのうち、どれくらいの人が人を救うために自分のいのちをささげられるかは分かりません。「できます!」と言っている人が土壇場で翻して、死ねず。反対に「私は信仰が弱いので、たぶんそんな大それたことはできません!?」と言っている人が、人を救うためにいのちを捨てるかもしれません。

これは「クリスチャンになるとそのようにしなければならない!」というのではありません。もし、そうできなければクリスチャン失格だ!と言われるなら、極少数の人以外はクリスチャンになれないでしょう。

人にとっていのちが一番大切です。しかし、強いられてでもないのに「いのちを捨てても惜しくない!」というように人を変えてしまうのは、それだけ本物の救いがあるということです。

詩人・画家である星野富弘さんは、大学を卒業して高校の体育教師になり、2カ月目に勤務先の学校の体育館で宙返りに失敗し、頭の骨を折って大けがをし、それが原因で体の自由を奪われ、首から下がまったく動かなくなりました。

その後9年間の入院生活をしますが、なお体が不自由なままで、精神的に耐えきれないほどの苦痛にさいなまれます。しかし、新たなチャレンジを始めました。口にくわえた筆で絵を描き始めました。

その絵の横に自分の詩を書きました。その星野さんが書いた詩を紹介します。

「いのちより大切なもの」

いのちが 一番大切だと
思っていたころ
生きるのが 辛かった

いのちより大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった  (星野富弘)

「いのちよりも大切なもの」にどこに行ったら出会えるでしょうか? 星野さんは、体が不自由になったときにそれを発見しました。今、それはどこで発見できるでしょうか?

聖書を読むことを通して、また、教会に行くことを通して発見できますが、私は今日も「いのちよりも大切なもの」を伝えるためにこの日を過ごしたいです。

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菅野直基

菅野直基

(かんの・なおき)

1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。

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