いきなりだが、私は「キリスト教伝道映画」が嫌いだ。幼い頃の記憶がそう思わせるのだろうか。それとも映画を観ているようで、教会に誘った友人たちの反応に意識が向いてしまい、映画の内容なんかどうでもよくなってしまい、家に帰るとどっと疲れが出るからだろうか。いずれにせよ、押し付けがましいタイトルと、「そんなん、ありえんやろ!」と突っ込みたくなるストーリー展開、そして未信者にはまったく分からないところでハンカチを取り出すクリスチャンの言動に、私は昔からどうもなじめなさを感じていた。
加えて言うなら、昔の「キリスト教伝道映画」は、出演者もマイナーで、そのくせやたら上映時間が長く、そしてお決まりのパターン(キリスト教万歳!)で物語が終わる。
青年期にスピルバーグとルーカスに教育された私にとって、どうも教会や映画館(しかもシネコンではない。古びたとてもマイナーな映画館)で上映されるこの手の映画は、ごめん被りたいという思いでいっぱいだった。
しかし近年、この「キリスト教伝道映画」の概念が変わりつつある。それは、予算も規模も他のメジャー作品と比べて遜色なく、かなりのクオリティーが保たれつつあること、そして何よりも取り上げる題材が、私たち日本人にとってもとても親しみやすくなりつつあるからだ。ストレートに言うなら、そこにはCGで描き出すような奇跡もなければ、聖書物語をただ再現しただけの、まるで教育テレビが作ったようなある種チープなインストラクションもない。代わりに人間の心の機微に触れる親子問題、赦(ゆる)しの効力、そして人々の善意・・・これらのものが前面に出る作品が多くなりつつあるからだ。
そんな中、現時点において最高の「キリスト教映画(決して伝道映画ではない)」に出会った。それが「アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌」である。
1980年代半ばに少年期を迎えた主人公バート・ミラードの日常が冒頭から描かれる。その描写に納得させられた。あの「E.T.」にも登場した80年代のBMXバイク、そして映画館には「ジョーズ3D」と「グーニーズ」(!!)そうそう、これは私の物語だ!と思わせる舞台づくりができている。その中でなぜかバートはCCMしか聴いていないのだが(本当ならマイケル・ジャクソンの「バッド」などが流れていてもいいだろう)、そこは予算の都合ということだろう。
物語としては、父子の葛藤を経て、その和解までが描かれているのだが、一番ぐっと来たのは、横暴な父親が教会に行くようになり、人格が変わってとても善良な「おとっちゃん」になってしまったシーン。従来の「キリスト教伝道映画」では、ここで「よかった。神には何でもできる!」となるところだが、今回はそうではない。父親への怒りと反発で生きてきたバートは、今までのように怒りの感情をぶつける相手がいなくなってしまったことで、むしろいら立ちが高まっていく。こういう描写は、親子関係の難しさ、人間の罪深さを見事に表しているといえよう。その高まった感情を一気にカタルシスへと向かわせたのが、ヒット曲「I Can Only Imagine」の創作だったのだ。
そのような視点で見るなら、これは決して米国だけの、しかもクリスチャン同士の「きれいで、美しくて、清い」物語ではない。むしろ信仰の有無にかかわらず、誰もが感じる「泥臭さく、醜く、そして人間臭い」人としての葛藤である。そして本作が素晴らしいのは、そのような人間の葛藤が信仰というフィルターを通ることによって、奇跡のように荘厳な芸術を生み出すということである。父のために、父が憩っているであろう天国を思いながらこの歌を生み出したバートは、一人の人としてのリアリティーを私たちに感じさせてくれる存在であった。決して「ナンバーワン・クリスチャンバンド」のボーカルではなく、一人の等身大の男性として、私たちの身近に存在しているような、そんな錯覚に何度も陥った。
もう一つの見方は、米ゴスペル界の実情を見事に切り取っているということである。彼らが曲を書き、それを演奏するシーンでは、観客が総立ちでとてもノリノリ。これはうまくいった!と誰もが思うのだが、実は音楽プロデューサーたちの見解はまったく異なっていた。そして印象的だったのは、「教会を紹介しよう」とプロデューサーの一人がバートに語り掛けるシーンである。つまり教会付きのミュージシャンなら、牧師に寄り添い、教会の働きを助けるということでいい。しかしゴスペルシンガーとして、セキュラーな世界で売れ、その実績を上げていくためには、その当時のバートたちの実力ではまだ足りないものがあったということである。
私たちはゴスペルというと、まさに教会音楽、神への礼拝音楽、と捉えてしまいたくなる。だが実際のあり様は、音楽の一ジャンルであって、その世界で「売れる」ものを生み出さなければ生き残っていけないのだろう。そういった意味で「I Can Only Imagine」はセールス的にも信仰的にも、その両方の要件を満たす楽曲だったということが分かる。だからすごいし、こうして映画にもなったのだろう。
本作は、音楽好きの若者にぴったりの内容になっている。これは「ゴスペル版『ボヘミアン・ラプソディ』」といってもいいだろう。音楽に命を懸けた男が、自らの人生と楽曲を重ね合わせて歌うステージに、私も熱い涙を流さざるを得なかった。
また、翻訳も素晴らしかったと思う。それを感じたのは「アメイジング・グレイス」の歌詞だ。単に聖歌の歌詞で代用するようなことはせず、現代人にも分かりやすいよう、細やかな配慮をして訳していた。もしこれが「キリスト教伝道映画」であるとするなら、そのことに日本の訳者もこだわりを持って臨んだということだろう。
個人的なことだが、重要なオーディションの舞台、そしてラストのコンサートの場所がナッシュビルであったことがうれしかった。やはり「ミュージック・シティー」なのだと思わされた。
他のハリウッド映画やセキュラーな映画と並べても、決して引けを取らない、観て良かったと感じられる一作である。本作のために祈り、全国を走り回っておられる宣伝担当者にも心からのエールを送りたい。
■ 映画「アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌」予告編
■ 映画「アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌」公式サイト
◇