2020年8月18日10時46分

主が与えられる訓練 菅野直基

コラムニスト : 菅野直基

ヤコブの手紙は、離散されたユダヤ人たちへのあいさつが終わると、いきなり次の言葉から始まります。

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。(ヤコブの手紙1章2〜4節)

このさまざまな試練の中には、ほとんど人間関係が絡んでいると言っても過言ではないと思います。そのときの対処法として、①まず「この上もない喜びと思いなさい」といいます。試練を「やったー!」と思える人はまずいないはずですが、「最高に喜びなさい!」と勧められているのです。

もし、試練を最上の喜びとしたら、もはや試練ではなくなります。喜び、楽しみとなり、試練に打ち勝ったことになります。②試練を喜ぶ理由として「信仰が試され、忍耐が身につく」というのです。クリスチャンは、起こっている出来事に対して、自分の感覚で受け止めるのか、信仰によって神が共におられ、神が最善を行ってくださると信じるのかが試されるのです。

自分の感覚で受け止めると、試練に対してネガティブな反応をすることになり、これが信仰を奪い去ってしまいます。神が私を愛しておられるのだろうか? 神は本当におられるのだろうか? そのようにして、信仰が失われていくのです。しかし、信仰によって受け止めたら、これは神の愛だと信じることになります。

あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。(ヘブル人への手紙12章7節)

神は、父が子を愛するように、子として信仰を試し、訓練しているのです。もし、神が訓練をしないとしたら、私生児であり、捨て子であり、孤児のようです。それこそ、神から愛されていないことになります。

だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。(ヘブル人への手紙12章8節)

神の愛を知って、忍耐を働かせ、忍耐するのです。しかし、忍耐といっても、それを最高に喜びながら耐えるのです。その向こう側で「あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となる」というのです。

神の訓練は、痛みが伴います。それは、人間関係と切っても切り離せません。とんでもないモンスターのような人から受ける塩対応かもしれません。信頼していた人から裏切られる経験かもしれません。しかし、そのような対応を受けたとき、人はその痛みを感じますので、「同じようなことを人にはしたくない」と思うようになり、優しい人に変わります。さらに、神の愛によって、子や後輩などに対して、本当の訓練ができる人になります。そして、自分自身も成長できるのです。

最後に、試練は必ずやってきます。それは避けられません。そのとき、すでにやってきている試練に対しては、前述のように感謝して受け止めましょう。しかし、未来にやってくる試練に対しては、「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください」(マタイの福音書6章13節)と祈りましょう。

ですから、その上で試練がやってきたとしたら、それは神が許された、神が与えられる試練や訓練と思って受け止めてください。試練を恐れないで生きられるとしたら、世の中怖いものはありません。

ステキな一日でありますように。

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菅野直基

菅野直基

(かんの・なおき)

1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。

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