2020年3月4日16時48分

心を映す鏡である聖書 安食弘幸

コラムニスト : 安食弘幸

みことばの戸が開くと光が差し 浅はかな者に悟りを与えます。(詩篇119篇130節)

夫が妻のことで医者に相談しています。

「最近、妻は歳のせいか耳が遠くなったようで、私が話し掛けても返事をしないことが多くなってきました」。医者は、「どのくらい悪いか確かめるために最初は遠くから話し掛けて徐々に近づき、どのくらいで聞こえるか調べてください」とアドバイスしました。

夫は早速家に帰ると玄関で声を掛けました。「今帰ったよ。今晩の夕食は何かな」。しかし、台所で調理している妻からは何の返事もありません。そこで夫は部屋に入って同様に声を掛けます。「今帰ったよ。今晩の夕食は何かな」

しかしやはり返事がありません。さらに、夫は台所に入り妻のすぐ後ろに立って言います。「今帰ったよ。今晩の夕食は何かな」。すると妻は振り向いて迷惑そうに言いました。「さっきから何回同じこと言わせるの! 今晩はすき焼きって言ってるじゃないの!!」

どうやら耳が遠くなっていたのは夫の方だったようです。人は他人のことにはすぐ気付いても、自分のこととなると全く気が付かないということがしばしばあります。

パウロのことばです。

ですから、すべて他人をさばく者よ、あなたに弁解の余地はありません。あなたは他人をさばくことで、自分自身にさばきを下しています。さばくあなたが同じことを行っているからです。(ローマ2:1)

他人を裁く傾向にある人は、自分の過ちには寛大ですが他人の過ちには過敏に反応し、そしてそれを大きく見ます。他人の悪行を見て「世も末だ」と嘆きますが自分の悪行を指摘されても「だって人間だもの仕方がないさ」とごまかします。

ルカの福音書18章にイエス・キリストが話された例え話があります。

二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。「神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。 私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。」一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。「神様、罪人の私をあわれんでください。」

そしてイエスは「取税人の方が神の前に義(ただ)しい者とされたのです」と評価しました。人間の持っている一つの大きな欠点は、他人の問題点はすぐに指摘できるのに自分の問題点に気付けないということです。

イエス・キリストのことばです。

あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。(マタイ7:3)

聖書は心を映す鏡です。あなたも聖書を開いて自分の本当の姿を見つけてみませんか。

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安食弘幸

安食弘幸

(あんじき・ひろゆき)

峰町キリスト教会牧師。1951年、島根県出雲市に生まれる。関西学院大学社会学部卒。大学時代は硬式野球、関西六大学リーグのスラッガーとして活躍。関西聖書学院卒。セント・チャールズ大卒(哲学博士)。JTJ宣教神学校講師、国内外の教会や一般企業、ミッションスクール、病院、福祉施設などで講演活動を行っている。著書に『キリストを宣べ伝える―コリント人への手紙第二』『心の井戸を深く掘れ』『道徳力―モーセの十戒に学ぶ―』『ルツの選択、エステルの決断』など多数。

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