2019年5月27日11時08分

十字架と復活による信仰者の成長 万代栄嗣

コラムニスト : 万代栄嗣

週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。・・・イエスが彼女たちに出会って、・・・言われた。「・・・行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」・・・「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:1~10、19、20)

私たちの人生は、目標を手に入れるだけで終わってしまってはだめで、その後に続く物語が生き続けるかどうかが大切なのです。クリスチャンは、春にイースターでイエスの十字架と復活を心から喜びますが、それからが肝心! 「イエスの出来事は私のため、クリスチャンとしての命がまた新しく動き始めます!」とイエスの命に満たされ歩みたいのです。私たちは最高の被造物ですから、もっともっと素晴らしい命を神から頂いて歩みましょう!

今日の聖書箇所前半は、イエスの復活の日の朝の出来事です。イエスの墓にやってきたマリヤたちに御使いは、イエスが死からよみがえられた事実と、ガリラヤでイエスと弟子が再会するという、重要な2つのメッセージを伝えています。さらに、よみがえられたイエスからもガリラヤで会えるというメッセージが伝えられます。イエスの御生涯が、神の力と栄光のうちに幕が閉じられようとする時、実はイエスご自身が新しい幕を開かれようとしていたのです。

ガリラヤでイエスは、弟子たちに有名な命令を出されます(18~20節)。このイエスのお言葉は、イエスを裏切り、よみがえりの出来事もよく分からず混乱し、意気消沈し目的を失い愚かで迷いやすい頼りない弟子たちに対しては、不思議なお言葉でした。しかしイエスは、そんな弟子たちに対して、宣教命令を出されたのです! イエスは弟子たちに、哀れな者としてではなく、次のレベルアップを当たり前のように期待されたのでした!

救い主であるイエスの恵みのすごさは、イエスお一人のすごさだけで終わるのではなく、十字架と復活のイエスに出会う人々の人生まで大きく変え成長させることにあります。弱い私たちであっても成長させられるのです。イエスの御業の完成は、私たちのクリスチャンとしての前進、信仰の成長の物語につながっていってこそ本物といえます。弟子たちの成長から3つのレベルアップについて学びたいと思います。

1. 立場のレベルアップ

イエスからお叱りを受けることが多かった、見習いの立場であった弟子たちが、人々を教える者に任命されたのです。イエスが私たちを単なる見習いから、イエスの権威を受けて教える者へと、能力、働きを成長させてくださることを感謝しましょう。

2. 働き場所のレベルアップ

田舎者の無学の弟子たちに、全世界に出て行くことを命じられたように、生きる世界も働き場所も段違いに大きくなるのです。私たちもそれまでの狭い枠組の中に留まるのではなく、イエスによって広い世界へと働きの場所をレベルアップさせられます。

3. 霊的レベルアップ

イエスと物理的に一緒にいることにこだわっていた弟子たちが、霊的な一体感を持って主が御業をなしてくださるという、神が共におられる臨在の感覚においても成長させられ、レベルアップさせていただきました。霊的力不足の弟子たちを、本当の力に満たすため聖霊まで与えて変えられました。

イエスは、あなたが今、殻を破るのを期待しておられます。イエスの十字架と復活はどのような人でも殻を破らせ成長させます。主にあって殻を破り、次の段階へと成長しましょう。

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万代栄嗣

万代栄嗣

(まんだい・えいじ)

松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。

また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。

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