2019年4月7日21時37分

牧師の小窓(161)人生の春を待ち望む祈り 福江等

コラムニスト : 福江等

牧師の小窓(161)人生の春を待ち望む祈り 福江等
(写真:suju)

これからしばらくの間、このコラムでさまざまな状況の中における祈りの言葉を記載してみたいと思います。これらの祈りは「クロスウォーク」というネットジャーナルに記載されているもので、祈りを書かれた方のお名前を最後に記しておきます。これらを参考にして、私たちの祈りの生活がさらに豊かになれば幸いです。

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人生の春を待ち望む祈り

神様、人生の春が来ることを信じることがどうしてこんなにも難しいのでしょうか。

疑うことは愚かなことだと知っています。季節は常に移り変わり、春が来るのが遅いと感じても必ず春は巡ってきます。長い間隠れていた太陽も必ず戻ってきて、淋しい雪を溶かします。最初は少し茶色の草々が顔を出し、やがて青々とした命にあふれます。鳥も戻ってきて、巣を作り、暖かい晴れた空に歌声を響かせます。どんなに長い冬であっても、必ずそれにも終わりが来ます。

けれども人生があまりにも長く灰色であったため、フルカラーの世界がどんなであったかさえ思い出せません。楽しかった日々の思い出は寒さの中で凍り付いてしまい、手の届かないつららのように垂れ下がっています。霜焼けになった指では希望にしがみつくことが困難です。

あなたがご自身の約束を守られるということを信じることが、どうしてこんなにも難しいのでしょう。

人生の冬の悲しみは冬だけではありません。困難や試練や悲しみに出合うたびに、同じような疑いが私を覆ってしまいます。これまであなたのいつくしみを何度も見てきましたが、暗い日が来るたびに私は追い詰められてしまいます。息をひそめ、どきどきしながら、恵みが今度も助けてくれるのだろうかと心配になってしまいます。

私は記憶を長く保つことができません。神様、私は今日、春がすぐに来ることを求めているのではありません。遠くに感じる希望をしっかりと私が握っていることができるように教えてください。

どうかあなたの愛と恵みを新しく思い出させてください。そして、大きいあわれみが来るまで、小さいあわれみが私を支えるようにしてください。そして、時が来れば、再び人生の春を与えてください。どうか喜ばしいことだけでなく悲しいことをも喜ぶ心を持つことができますように。そして、冬を耐えていくたびに、心が温かい人になることができますように。人生の春が来ることを信じる者となれますように。アーメン。

―グレゴリ・コール

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福江等

福江等

(ふくえ・ひとし)

1947年、香川県生まれ。1966年、上智大学文学部英文科に入学。1984年、ボストン大学大学院卒、神学博士号修得。1973年、高知加賀野井キリスト教会創立。2001~07年、フィリピンのアジア・パシフィック・ナザレン神学大学院教授、学長。現在、高知加賀野井キリスト教会牧師、高知刑務所教誨師、高知県立大学非常勤講師。著書に『主が聖であられるように』(訳書)、『聖化の説教[旧約篇Ⅱ]―牧師17人が語るホーリネスの恵み』(共著)、『天のふるさとに近づきつつ―人生・信仰・終活―』(ビリー・グラハム著、訳書)など。

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