2018年12月6日12時14分

温故知神―福音は東方世界へ(112)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本57 川口一彦

コラムニスト : 川口一彦

温故知神―福音は東方世界へ(112)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本57 川口一彦

<本文と拓本>文字26(1731+26=1757)
主僧寧恕<Hananishu、在位774~778>、知<指導者>東方之景衆也。
朝議郎<唐代の文官第14階位、正六品上の階級で土木工芸を管理する職>前行<尚書省各部排列順の前行、中行、後行三等の一つ>台州<浙江省台州市>司士參軍<正七品以下の官名>呂秀巖書(呂秀巖が書す)。

<現代訳>
時の法主である寧恕(ヨハネか?)は、東方景教徒の主管者(総主教)です。
朝議郎前行台州の呂秀巖が書きました。

<解説>
1. 寧恕について
寧恕はシリア語からハナンイシューで、774年に東方景教徒の総主教に就任。778年に召天。ハナンイシューは慈しみ深いの意味。彼が世を去って3年後の781年に景教碑が建てられたので、彼は碑を見ていません。すでに撰文されていたので、そのまま名が刻まれたことになったと考えられます。

2. 呂秀巖について
碑を書いた呂秀巖は、土木工芸を管理する職にあることから書にも優れていました。また景教神学校の校長ともいわれます。彼は呂一族で先祖は秦の始皇帝の父、『呂氏春秋』(始皇8年、紀元前239年に完成)の作者である呂不韋と考えられます。彼の子孫が東アジアに多く、韓国の韓国教会新聞社社長の呂容悳博士もその一族。その系図があると言って見せてもらいました。

※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)

<<前回へ     次回へ>>

◇

川口一彦

川口一彦

(かわぐち・かずひこ)

愛知福音キリスト教会(日曜と火曜集会)ならびに名古屋北福音キリスト教会(水曜集会)の宣教牧師。フェイスブックで「景教の研究・川口」を開設。「漢字と聖書と福音」「仏教とキリスト教の違い」などを主題に出張講演も行う。書家でもあり、聖書の言葉を筆文字で書いての宣教に使命がある。大学や県立病院、各地の書道教室で書を教えている。基督教教育学博士。東海聖句書道会会員、書道団体以文会監事。古代シリア語研究者で日本景教研究会代表。特に、唐代中国に伝わった東方景教を紹介している。著書に『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』など。