2018年2月1日19時31分

温故知神―福音は東方世界へ(90)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本35 川口一彦

コラムニスト : 川口一彦

温故知神―福音は東方世界へ(90)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本35 川口一彦

<本文と拓本>文字30(1052+30=1082)

粛宗文明皇帝於靈武等五郡(粛宗文明皇帝は霊武等五郡において)、 重立景寺(重ねて景寺を立つ)。元善資而福祚開(元善に資ければ福祚を開き)、大慶臨而皇業建(大慶臨みて皇業建つ)。代宗文

<現代訳>

粛宗文明皇帝(711~762、在位756~762。第10代皇帝)は、霊武と同様に五郡にも重ねて景教会堂を建てられ、信徒の善行の扶助により祝福がもたらされ、大きな慶びの中、皇帝の事業が行われました。

<解説>

霊武は霊州ともいわれ、742年に霊州を改め霊武としました。現在の寧夏回族自治区の霊武市。五郡とは5つの郡の意味と、五郡という地名の説があります。すなわち、西安より西の方面に終南山があり、その地域をいいます。五郡の五は不明。粛宗は霊武で即位しました。

粛宗の生きた時代は内外の反乱が多くあり、755年11月に玄宗の高官で寵愛を受けたソグド人の安禄山(705~757。禄山はソクド語でロクシャン<光明の意味>の音訳)が謀反を行い、反乱が発生。安禄山が756年1月に洛陽で雄武皇帝として即位すると、唐は混乱の中に置かれました。粛宗は玄宗と長安を脱出し、蜀に逃れましたが、息子に殺害された安禄山の死後に回復。このような時代に景教徒たちは生きており、碑に記す景士である伊斯の活躍へとつながります。

※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)

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川口一彦

川口一彦

(かわぐち・かずひこ)

愛知福音キリスト教会(日曜と火曜集会)ならびに名古屋北福音キリスト教会(水曜集会)の宣教牧師。フェイスブックで「景教の研究・川口」を開設。「漢字と聖書と福音」「仏教とキリスト教の違い」などを主題に出張講演も行う。書家でもあり、聖書の言葉を筆文字で書いての宣教に使命がある。大学や県立病院、各地の書道教室で書を教えている。基督教教育学博士。東海聖句書道会会員、書道団体以文会監事。古代シリア語研究者で日本景教研究会代表。特に、唐代中国に伝わった東方景教を紹介している。著書に『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』など。