2017年11月26日19時10分

牧師の小窓(108)ブラザー・ローレンスの霊性 福江等

コラムニスト : 福江等

牧師の小窓(108)ブラザー・ローレンスの霊性 福江等
ブラザー・ローレンス(1614~91)

数週間前に礼拝のメッセージの中でブラザー・ローレンスという17世紀のフランスに生きた1人の修道士について語らせていただきました。カルメル会という修道会の中では台所で食事係をする立場でありましたが、彼の霊性は今もなお、世界中で関心が持たれています。

彼の語った言葉を後の人が思い出して本にしたことによって、彼がどんな風に日々を生きていたかが後世に残りました。この類いまれな信仰者の生きざまから私たちも学びたいと切に願います。

修道会の中で台所に配属になったローレンスは、日々の単調な仕事の中で自分なりの仕事の仕方と心の持ち方を習得していきました。どんな平凡な仕事であっても、神の愛を知る機会としたのでした。仕事が何かということよりも、それに当たる心が大切と受け止めたのです。

「偉大なことをする必要はありません。神様のために小さなことを私たちはすることができます。焼いているケーキをひっくり返すときも、神様を愛する気持ちで行うことができます。特に用事がなければ、私に仕事を与えてくださった神様を賛美礼拝します。すると、私はとても幸せな者となります。地面から1本のわらを拾うことも、神様を愛する愛で行うことができます」と言っています。

どんなことでも、神様に対する心を持ってすれば、そこに大きな意味が生まれると彼は感じていました。「私は次第に、この世には神様と私以外は誰もいないかのごとくに生き始めるようになりました」と語っています。「仕事をしているときも祈っているときも、私には変わりはありません。台所で数人の人が忙しくわいわい言いながら仕事をしているときでも、私の心には神様の御前にひざまずいているかのような静けさがあります」とも語っています。

このような霊性に達するまでに、ローレンスは何年も訓練をしていったようです。「できるだけ頻繁に、私は神様を礼拝する者として、神様の聖なる臨在に心を向け、神様から思いが遠ざかるとき、再び神様の臨在に思いを取り戻すようにしてまいりました。この訓練はしばしば痛みの伴うものでしたが、これをかたくなに行ってまいりました」と。

「1日を通して主のご臨在と共に過ごすためには、いつも主と話をすることが必要である」ことをしばしば語っていたそうです。現代の私たちが見習うべきことが凝縮されているではありませんか。

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福江等

福江等

(ふくえ・ひとし)

1947年、香川県生まれ。1966年、上智大学文学部英文科に入学。1984年、ボストン大学大学院卒、神学博士号修得。1973年、高知加賀野井キリスト教会創立。2001~07年、フィリピンのアジア・パシフィック・ナザレン神学大学院教授、学長。現在、高知加賀野井キリスト教会牧師、高知刑務所教誨師、高知県立大学非常勤講師。著書に『主が聖であられるように』(訳書)、『聖化の説教[旧約篇Ⅱ]―牧師17人が語るホーリネスの恵み』(共著)、『天のふるさとに近づきつつ―人生・信仰・終活―』(ビリー・グラハム著、訳書)など。

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