2017年10月19日06時46分

日本人に寄り添う福音宣教の扉(31)真理はあなたがたを自由にする 広田信也

コラムニスト : 広田信也

「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:31、32)

国立国会図書館法の前文に「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される」と書かれている。

この文章の中にある「真理がわれらを自由にする」という1節は、聖書の言葉の引用のようだが、国会図書館東京本館のホールに、日本語とギリシャ語で刻まれたことで、その由来によらず有名になった。

私は、自動車会社の研究所に長年勤務していたが、以前、私の上司がこの1節を用いて、私たちに「真理探究」の重要性を強調したことがあった。

仕事は将来エンジンの研究開発であったが、確かに新技術の探究には、この自然界を支配する現象の正しい理解が不可欠だった。正しい理解をした者だけが自由に技術開発ができるということを、上司は言いたかったのである。

このような上司に恵まれたおかげで、エンジン燃焼室や排気ガスの中で起こっている現象を随分と学ばされ、30年以上の経験の中で比較的深い知見を得たように思う。

しかし、退職する際、私の書類棚には、解析できていない意味不明のデータが山積みされていた。経験年数を重ねるほど、真理の探究どころか、理解できない現象は増え続けていたのだ。いつの日か解析できるだろうと安易に考え、データを保存してはいたが、結局そのまま会社を去ることになった。

この世界に満ちるものは神様の知恵によって造られたのだから、どのような自然現象であっても、人が完全に理解することはできない。経験が増すほど分からないことが増えるのは、当然のことかもしれない。

結局のところ、私の研究開発の成果は、被造物の中に見られる神様の知恵の深さと自分の未熟さを認めることだったように思う。おかげで、仕事を通して神様に頼ることを教えていただいた。

「真理はあなたがたを自由にします」という聖書の言葉の前文は、「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り」となっている。

聖書の意味するところは、イエス・キリストの言葉を信じる者は、イエス・キリストの弟子となり、真理を知り、自由を得ることができるということである。

聖書の指し示す真理は、信仰により恵みによって知ることができるのであって、決して人の努力で得られるものではない。人はいつも真理を求め、探求するものだが、人の力でたどり着く結論は、真理からは程遠いものになる。

私は、会社を退職後、牧師になって多くの人の終末に寄り添うことになった。牧師としての経験に乏しい者が、どのように寄り添うべきかと戸惑うこともあるが、長年の企業における研究開発の成果は、私の心を自らの足りない経験ではなく、イエス・キリストに向かわせてくれる。

大切な家族を失い、悲しみの中にある遺族の前で、ただ神様に頼ることを心掛けている。「死」という避け得ない障壁を前に、自らの力では到底成し得ないことだが、故人と遺族をこよなく愛されるキリスト自身が、苦難の場を慰めの場に変えてくださることを知るのである。

「私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです」(Ⅱコリント1:5)

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広田信也

広田信也

(ひろた・しんや)

1956年兵庫県生まれ。80年名古屋大学工学部応用物理学科卒業、トヨタ自動車(株)入社。新エンジン先行技術開発に従事。2011年定年退職し、関西聖書学院入学、14年同卒業。16年国内宣教師として按手。1985年新生から現在まで教会学校教師を務める。88~98年、無認可保育所園長。2014年、日本社会に寄り添う働きを創出するため、ブレス・ユア・ホーム(株)設立。21年、一般社団法人善き隣人バンク設立。富士クリスチャンセンター鷹岡チャペル教会員、六甲アイランド福音ルーテル教会こどもチャペル教師、須磨自由キリスト教会協力牧師。関連聖書学校:関西聖書学院、ハーベスト聖書塾、JTJ宣教神学校、神戸ルーテル神学校