進藤龍也牧師が開拓した罪人の友主イエス・キリスト教会(通称:罪友、埼玉県川口市)では、毎年夏恒例の名栗川での洗礼式を7月29日に行った。今年の受洗予定者は5人だったが、そのうち3人は仕事などの都合で出席できず、今月13日、同教会で滴礼(てきれい)によって2人が洗礼を受けた。洗礼式には、教会員をはじめ、進藤牧師の友人で元ヤクザの信仰の友や、遠くは静岡や広島からも新来会者があり、多くの人が新しくクリスチャンとして出発する瞬間を見守った。
名栗川で受洗した1人、森淳一さん(43)。東京都足立区で生まれ、神奈川県大和市で育った。父は高校の数学教師。幼い頃から教育熱心な両親だったという。小学校卒業後、中学校に進学する頃には、学習塾に通う毎日を送り、神奈川県内では有数の名門中学進学を目指した。
しかし、私立校2校を受験したが、両方不合格に終わった。ここから父のしつけはエスカレートする。扇風機が飛んできたこともあった。父の言った通りにしないと、容赦なく拳(こぶし)が飛んできた。
中学時代は勉強をする気も薄れ、定時制高校に進学。17歳になる頃には摂食障がいを起こすようになっていた。食べても食べても満たされない時もあれば、食べたら食べただけ吐き戻してしまう時期もあった。
「これは本当につらいんですよね。食べても、すぐに吐いてしまうのですから。吐くのも体力がいるんですよ」
高校時代に覚えたもう1つのことが「クスリ」だった。コカイン、ヘロイン、MDA、MDMA、マリフアナ、幻覚キノコ、何でもやった。
「クスリと言っても、いろいろある。僕の場合は、ありとあらゆる種類で、きっかけはマリフアナ。高校生がタバコに好奇心を持つように、自分もマリフアナを吸ってみたくなった」
高校卒業後は、都内のバーでアルバイトをしたり、洋服店に勤めたりしたが、それでもクスリはやめられずにいた。
2005年、森さんが31歳になる頃には、摂食障がいの影響もあり、体重は123キログラムにまで増えていた。ダイエット専門病院に入院したものの、入院先にまでクスリを持ち込んでいた。そこで20キロ以上の減量に成功したが、摂食障がいだけでなく、そううつ病も患い、11年には精神障がい2級の判定を受けた。
寂しさと孤独感が心に押し寄せ、13年、40歳の時には、アパートの部屋に新聞紙を敷き、包丁で腹を刺して自ら命を絶とうとした。しかし、意識が遠のく中、たまたま目に入ったスマホ画面に映る友人の子どもの写真に、「生きなくては。死にたくない」と思い直し、一命をとりとめた。
翌14年、クリスチャンの友人の勧めで、初めて罪友を訪れたが、皆が幸せそうに笑っている姿が森さんの目には逆に奇妙に映ったという。
それから教会を訪れることもなく、再び引きこもり同然の生活へ。クスリをやめることなく、断続的に毎日打ち続けていた。ただただ家にいてクスリ漬けになる日々。
「このままではいけない」と思い立ったのは17年4月。クスリを断つことにした。4月30日には、家の中にあるクスリをあぶる道具、注射器、すべてを捨て、部屋をきれいに片づけた。残っていたのは1冊の聖書だけ。
5月1日には、捜査令状を携えた警察が「ガサ入れ」にやって来た。ほぼ100パーセント「クロ」の確信を持っていた警察だったが、前日に掃除をしていた部屋からは何も出てこない。尿検査をされたが、森さんは2週間前にやめていたため、尿検査の結果も「シロ」で、反応は出なかった。
しかし、2週間前まで、クスリを打ち続けていたことは確か。「やりました」と正直に話したが、警察は証拠のない森さんを逮捕するわけにはいかず、そのまま「ガサ入れ」は終了した。
「奇跡ですよね。これを『奇跡』と呼ぶのはおこがましいのですが、神様が与えてくださった時間だと思いました」
そして森さんはもう一度、罪友へ。今度は、周りの人たちと共に自分も幸せになれる気がした。進藤牧師に相談したところ、「自分が好きで遊んでいたのだから、甘えるな。命をかけろ」の一言に目が覚めた。
5月末には、罪友の慎征範(しん・ゆきのり)伝道師と一緒に、高田馬場で行われた「ファイヤーカンファレンス」に参加。トッド・ホワイト氏のメッセージ、会衆の賛美、祈りに酔いしれた。
「この日、僕はイエス様を救い主として心に受け入れました」
それから2カ月が過ぎ、7月、受洗の恵みにあずかった。
「僕は本当に幼い頃から父との確執の中で苦しみ、摂食障がいまで起こして、それからは何かに頼る人生を送ってきました。今は父のことを恨んだりはしていませんが、これからより頼むのはイエス様だとやっと気付いたのです」