2017年8月13日20時35分

テサロニケ一5章17節「絶えず祈りなさい」を実践するための5つの方法

翻訳者 : 小又香織

絶えず祈るための5つの方法とは?
(写真:Ben White/Unsplash)

テサロニケの信徒への手紙一5章16~18節で、パウロはある意味、非常に努力を要する命令を出している。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」(新共同訳)

果たして、「いつも」とか「絶えず」というのは、本当に文字通りの意味で用いているのだろうか?「いつも」や「絶えず」とは言いすぎのように聞こえはしまいか? 英語の訳では次のようになっている。

直訳を重視した米国の「新改訂標準訳」(NRSV)では、“pray without ceasing”(とどまることなく祈りなさい)と訳されている。現代人に分かりやすい表現を優先した米国聖書協会の「Good News Bible」(GNB)は、“pray at all times”(どんな時にも祈りなさい)で、ユージーン・H・ピーターソン氏による現代語意訳聖書「Message」でも、”pray all the time”(四六時中、祈りなさい)となっている。表現の違いは多少あるものの、「絶えず祈りなさい」という本質的な意味において違いはない。一体、パウロが非現実的なのだろうか?

祈りの基準がとても高かったのはパウロだけではない。英中西部の都市リバプールの初代主教で熱心な説教者であったJ・C・ライル(1816〜1900)は、祈りについて次のように語っている。

「救いに対して絶対に必要なことは、人は祈るべきであるということだ。祈りがないということは、神なし、キリストなし、恵みなし、希望なし、天国なしということだ」

クリスチャンの生活に不可欠である「祈ること」に苦戦しているクリスチャンは多いかもしれない。祈りとは、やるべきだと分かっているのに、うまくいかないものではないだろうか。ここでは、私たちがもっと祈れるよう助けてくれる5つの方法を紹介したい。

1. ウォーキングをする

教父アウグスティヌスは、ラテン語の「Salvator ambulado」という言葉を話に出すことがあったという。大まかに言えば、「歩くことで解決される」という意味だ。自分の部屋でどうもうまく祈れないときは、家から出て歩いてみよう。公園や海、近所を散歩するのも良いだろう。歩くことは私たちの視点を変え、祈ることを助けてくれる。

何十キロにも及ぶ巡礼でも、公園の周りをちょっと散策する場合でも、外に出ることで自然の中で神に会い、会話を楽しむことができるのだ。

2. イイススの祈り

これは、正教会の最も古い祈りの1つで、とてもシンプルなものだ。「主イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)、神の子よ、我(われ)、罪人を憐(あわ)れみ給え」という祈りを何度も繰り返すこのやり方は、短縮された「主、憐れめよ(ギリシャ語で、キリエ・エレイソン)」の祈りとともに、正教会以外の人々の間でも広く用いられている。これがあなたにとって助けにならなければ、古くからある「聖霊様、来てください」という祈りをすることもできるし、イエスの御名を声に出して繰り返しても構わない。5分間続けてみれば、これらの祈りがどんなに助けになるかが分かり、びっくりすることだろう。

3. 近所の祈り会を探す

祈り会を見つけよう。教会によっては、毎日祈りの場を提供しているところもある。特に大都市では、さまざまな形式やスタイルがあるので、自分の必要に合ったものを選ぼう。あなたの職場から近い場所で行われている祈り会があれば、週のスケジュールに組み入れ、生活の一部にすることも可能だろう。

4. イエズス会士が毎日行う「エクサメンの祈り」

イエズス会士が毎日1日の終わりに祈るという「エクサメン(Examen、糾明)の祈り」を試してみてはどうだろうか。英語で、“Examination of Conscience” や “Consciousness Examen” など呼ばれ、「意識の糾明(究明)」を意味する祈りだ。その日に起こったことを振り返って祈る、シンプルでありながら、非常に深い祈りで、基本は次の4つのステップからなる。

  1. 神の存在を意識する。
  2. その日を振り返る。
  3. 良かったことに感謝し、悪かったことを悔い改める。
  4. 明日に目を向ける。

世界の何百万もの人々が実践している祈りで、最近では「エクサメンの祈り」を取り入れた「Pray As You Go」(英語)というスマートフォンのアプリも存在する。

5. 信仰の先人たちにインスピレーションを求める

過去のクリスチャンたちが、祈りについてさまざまな方法を実践し、それらを残してくれているおかげで、私たちはその恩恵にあずかることができる。ぜひ、彼らの霊性ややり方をまねしてみよう。

カルメル会の修道士、ブラザー・ローレンス(御復活のラウレンシオ、1611〜91)は、絶え間ない祈りについて次のように述べている。

「神と常に会話する習慣をつくり、私たちが行うすべてのことを彼に言及するには、まず、いくらか熱心さをもって神に心を向けなければならない。しかし、そのほんの小さな努力の後、何の難しさを感じることなく、私たちは心の中に神の愛が湧いてくるのを発見するのです」

まずは、やってみてどうなるかを見てみよう。試しにやってみて、どうなるかを見るということは、クリスチャン生活を送る上で良いやり方ではないだろうか。