2016年10月6日06時56分

死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―(88)初めの人間の属性 米田武義

コラムニスト : 米田武義

初めの人間の属性

偏在性ある神様は、何も地球上の人類のみを相手にしておられるのではない。他のプラネット上の私たちの知らぬ生き物にも、他のギャラクシーに存在するであろう私たちの知らぬ何かにも、力を及ぼしているに違いない。

神の属性である主権、偏在性、全知全能性、永遠不滅性等々も、人類がその知性の及ぶ限りで分かり得たもので、他のプラネットの何かにも適応できるか否かは、人間には到底分からない。神様は、地球に住む人間にとって、最上の属性を垣間見させてくださったにすぎないと思う。

その神様が、私たち地球に住む人間に、初めに与えてくださったのは何であろうか。知識でも知恵でもなく、自由意思であった。その他は、本当に純真無垢であった。神様はこれをまず良しとされたのである。

「神はお造りになったすべてのものを見られた。…それは非常に良かった」(創世記1:31)

「それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えた…」(創世記3:6)

しかし神様は、善悪の知識を人間に自由意思でもって獲得するようにされた。非常に回りくどいように思えるが、善のみを人間に植え付けるのではない方法をとられた。経験的に、善か悪かを獲得するようにされた。善とは、神様に従うこと、悪とは、蛇(サタン)に従うことである。

神様は、神様に従うこと以上に自主的に、自由にということを大切にしておられる。自由に神様に従うのでなければ喜ばれない。創世記からイエス・キリストの来臨まで、全てのエピソードは、この自主的に神に従うか否かの問い掛けとも言える。初めに自由、自主でなく、善のみを与えてくださっていたら、戦争も悪行もないのに、と思うのは、人間の理解の範囲で、神様にはそういう考えは不完全なのであろう。

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米田武義

米田武義

(よねだ・たけよし)

1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術国内留学生)で学ぶ。国土防災技術を退職し、米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』。