2016年9月29日11時28分

死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―(87)神を呪う人は 米田武義

コラムニスト : 米田武義

神を呪う人は

ヨブ記の中で、ヨブが悪性の腫物で苦しんでいるときに、彼の妻がヨブに「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい」とヨブに進言している。こういった気持ちになることはよく分かる。苦難に遭ったときにこんなことになるなら、神様など知らなかった方が良かったとか、罪のことなど深く考えずに世を渡り、適当に無責任でいられる方が良かったとか、過去に思ったことがある。

しかし私は今、普通に考えても、世俗的に損得勘定をはじいてみても、ヨブの妻の進言は、採算がとれないと思う。世俗的なそろばん勘定でも、妻の進言に従うことは、今までの人生が無駄で無意味であったことを認めることとなり、これは大きな損失である。

次いで、神を呪って死ぬとき、心に何の平安があろうか。苦しみを一身に受けて死なねばならない。信仰を持たない人たちでも、このくらいのことは当然考えるであろう。そして、ヨブにとっては、何か分からないが、続けて信仰を持つべきだと考えるであろう。世俗的に考えて、それが得策であると思うに至るだろう。

「もし、神がご自分だけに心を留め、…すべての肉なるものは共に息絶え、人はちりに帰る」(ヨブ記34:14、15)

私たちの存在は、初めから神によった存在であり、私たちが存在し始めたのでなく、神が私たちを存在させたのが、私たちの原点であることを忘れてはならない。

「神が悪を行うなど、…絶対にそういうことはない」(ヨブ記34:10)

神は、善意のお方であるから、私たちに理解できないことがあったからといって、神を恨んだりするのは誤っている。

「神は、…人に、それぞれ自分の道を見つけるようにされる」(ヨブ記34:11)

私たちに理解できぬ咎(とが)があっても、人間の理解力を越えた神様は、必ず私たちを神様の目から見て、公平に扱ってくださる。

<<前回へ     次回へ>>

◇

米田武義

米田武義

(よねだ・たけよし)

1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術国内留学生)で学ぶ。国土防災技術を退職し、米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』。