2016年9月15日11時51分

死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―(85)心の祭壇を築く 米田武義

コラムニスト : 米田武義

心の祭壇を築く

先日、TVで禅僧の生活が放映されていた。日常の生活は非常に質素で、私たちから見ると、雑事で非常に忙しく体を動かす日常であった。例えば、早朝から雑巾がけ、庭掃除、料理、薪割り等々の労働がズラリと並び、食事は少量で、質素な精進料理だけという具合である。部屋の中はほとんど何もなく、必要最低限のもののみ押し入れの中に入れてある。

大事な瞑想の時は、背筋を伸ばして微動だにしない。出家した僧は、世間から離れた寺で、自分の修行のための規則正しい生活を守っている。大変な毎日だなあと思う半面、何もかも捨てて修行するには、隔離された寺のような所の方がむしろ、規律正しくできるのではないかと思ったりもする。

半面、TVを見ていて、精神的な面ではいろいろ共通したところがあると思った。

瞑想は、私たちも祈りの際に必要である。しかし禅僧のように、スッキリと形を決めたものではないが。

質素な食事に関しても、イエスははっきりと、人はパンのみにて生くるにあらず、と言われている。が、実際の適応は、人さまざまであって、恐らく禅僧のように質素な人は少ないと思う。

必要最低限のもので事足りる彼らと同じく、私たちも神と富とに仕えることはできない、と聖書に書いてある。どこまで徹底しているかは、人それぞれ異なると思う。

一日中彼らはよく働くが、聖書にも、私たちは一生苦しんで職を得なければならない、とある。

何も禅僧の真似をせよというのではないが、精神的には世間とはっきり区切りをつけた禅寺のような、神の祭壇を築いておかなければならないと思った。常に清々しい祭壇を。

「私たちには一つの祭壇があります」(ヘブル13:10)

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米田武義

米田武義

(よねだ・たけよし)

1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術国内留学生)で学ぶ。国土防災技術を退職し、米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』。